2025年01月02日

なぜ、ファイトケミカルな重要なのか

フリーラジカルがあらゆる病気の原因

 筋萎縮性側索硬化症(ALS)、アルツハイマー病、パーキンソン病、癌、関節炎、糖尿病、心疾患と多くの病気の発病は遺伝子がかかわっている[1p256,p257]。ただし、たとえ原因となる遺伝子をもっていたとしても、そのスイッチが入って活動しなければ、発病はしない[1p256]。そして、疾患のきっかけとなる遺伝子を活性化する最大の元凶がフリーラジカルであることがわかってきた[1p246,p257]

 電子はふたつずつのペアになっている限りは安定しているが、ペアがいないとむやみやたらと他の電子と結合したがる[1p154,2p162]。新たな相手を求めてなんとても結合したがる電子を持つ分子をフリーラジカルと呼ぶ[1p155,2p162]

 最も悪質なのがハイドロオキシラジカル、スーパーオキサイドラジカルで[1p155,2p162]、過酸化水素等、一重項目酸素も電子の配列が不安定なためにフリーラジカルを生成させやすい。この4種類を「活性酸素」と呼ぶ[2p162]。その言葉どおり、いずれも酸素から生じる[1p155]

Bruce-Nathan-AmesS.jpg カリフォルニア大学バークリー校のブルース・エイムス(Bruce Nathan Ames,1928〜2024年)教授によれば、ひとつの細胞のDNAには、1日に約1万個ものフリーラジカルが攻撃を受けているという[3p249]。フリーラジカルを避けることはできない。呼吸をするだけで自然に作られるし、タバコの煙、大気汚染、水や食品に含まれる有害な化学物質、高脂肪の食品からもフリーラジカルは体内に取り込まれる[3p246]

 もちろん、フリーラジカルは悪いモノではない。体内に侵入してきたバクテリアやウイルスを駆逐するためにも使われている[3p246]。そして、フリーラジカルから受けたダメージの99%は抗酸化物質によって修復できる[3p249]。フリーラジカルは放置しておくと、たとえ癌にならないにしても細胞の機能を低下させる[1p172]。だから、酸素が届かない土中に棲息するバクテリアを除いて[1p158]、ヒトを含めて地上にいるすべての生物はフリーラジカルから身を守る酵素、SOD(スーパーオキシド・ジスムターゼ)を持つ[1p157]。SODは、フリーラジカルの攻撃を受け止めてこれを安定して無害な形に変える[1p170]

 けれども、不幸なことに加齢とともにフリーラジカルの生成量は増加する。一方で、25歳をすぎたことから体内での抗酸化物質の量は減る[3p253]。修復の手がまわらなかったダメージが長年蓄積をされて細胞の機能を損なわせる。臓器全体も機能不全に陥っていく[3p249]。これが、これが長年にわたって蓄積されると、老化のプロセスを加速させる。そして、心臓病、癌、糖尿病、関節炎、変性脳疾患等のあらゆる慢性病の元凶だとされている[3p246,3p249]

脂肪が酸化して細胞膜が機能不全に陥る

 こうした活性酸素のターゲットとして一番ダメージを受けやすいのが、細胞膜等の膜組織にビッシリと詰まっている不飽和脂肪酸だ[1p158,2p164]。飽和脂肪酸は炭素と水素とが規則正しく並んで強くつながっているので反応性に乏しいのに対して、不飽和脂肪酸は二重結合を持つために炭素と水素とがつながる力が比較的弱い場所がある。ここが活性酸素の狙い目となってしまう[2p164]。とりわけ、紫外線等を浴びると不飽和脂肪酸は活性化して活性酸素があれば直ちに結びつく[1p158]

では、細胞がどのようなステップを踏んでフリーラジカルのダメージを受けるのかをみてみよう。細胞が健康を維持するうえで絶対に欠かせないものが二つある。血液を媒体とした輸送システムと細胞膜の維持だ。けれども、この細胞膜の不飽和脂肪酸のひとつが活性酸素のダメージを受けたとしよう[1p160,1p163,2p164]。安定した水素を奪われているために脂肪酸そのものがフリーラジカル(脂肪酸ラジカル)となってしまい、隣接する不飽和脂肪酸を襲って水素を奪いとるから、雪崩式に酸化さて連鎖は反応のように広がっていく[1p160,1p163,2p164,3p248,4p73]。脂肪酸ラジカルは、隣の脂肪酸から水素をもぎ取って酸素と結びつく。こうしてできた不飽和脂肪酸はもはや元には戻れず[2p164]、まるで焼け焦げのように「過酸化脂質」として安定する。平たくいうと酸化した脂肪、腐敗した脂肪だ[1p158,2p165,3p251]。過酸化脂質が他の分子と反応したり分解すると二次酸化物が生成される。古くなった肉や魚から腐敗臭がするのはこのためだ。もちろん、食べると食中毒や胃腸障害を引き起こす[2p165]

 要するに、人体で一番不飽和脂肪酸が多く存在する場所は細胞膜だから、そこが最も酸化脂質ができやすい[1p159]。すると、ブドウ等の輸送、カルシウムの細胞外への放出といった細胞膜が本来果たすべき機能が果たせなくなる[3p248,3p251]。カルシウム濃度が高まると有害なグルタミン酸が活性化され、さらに多くのフリーラジカルが発生し、毒として働くアラキドン酸も活性化させる[3p251]。過酸化脂質はタンパク質まで変性させて役立たずにするし[1p161,1p163]、ミトコンドリアや核等の細胞内の成分もダメージを与え、細胞の機能を低下させ[1p163,3p247]、DNAを破壊して細胞に恒久的なダメージを与える[3p246,3p249]。ダメージを受けたミトコンドリアは自殺タンパク質に命令を下し[3p251]、ダメージを受けた細胞はアポトーシスとして自殺する[3p248]。細胞内にあるリゾソームが自然と潰れて酵素が流出。細胞を消滅させる仕掛けができている。だから、フリーラジカルがリゾソームの膜にダメージを与え、内包されている酵素の漏洩を引き起こせば、細胞全体が死ぬことになる[1p164]。実際にアルツハイマー病ではこのアポトーシスが起きている[3p248]

 また、酸化LDLコレステロールも有害なためにマクロファージが食べて分解するのだが、分解された脂肪が血管内に蓄積し[3p251]、血管を硬くし最終的には血管を詰ませて塞ぐ[3p251,4p73]

癌もフリーラジカルによって引き起こされる

 ミトコンドリアの内膜ではブドウ糖の燃焼という発電作業がなされているが、この部分に不飽和脂肪酸が豊富に含まれているため、フリーラジカルの攻撃に対して非常にもろい[1p164]。正常な細胞はクエン酸回路を通じてブドウ糖を完全燃焼させ38個のATPを獲得している。酸素がない状況ではブドウ糖はクエン酸サイクルに入り込めず最終的には乳糖となって、ATPが二つしか作られない。これがブドウ糖の不完全燃焼だ。けれども、癌細胞は酸素がある状態であっても常にいくらかのエネルギーをブドウ糖の不完全燃焼から得ている。この事実から、1931年にノーベル医学・生理学賞を受賞したオットー・ワールブルグ(Otto Heinrich Warburg, 1883〜1970年)博士は[1p165]、これはミトコンドリアがダメージを受けてクエン酸サイクルでの発電が十分に行えないためであって[1p166]、これが癌発生の原因だと考えた[1p165]。癌細胞は正しい機能を失っているため、他の細胞とつきあう能力がなく、異常な分裂と成長をしていくからだ[1p166]

フリーラジカルに最もダメージを受けやすいのは脳

 そして、最もフリーラジカルに悩まさる臓器が脳だ[3p246,3p250]。脳は活発に活動しているため他の臓器よりもフリーラジカルが多く発生している[3p247,3p248]

 第一に、脳の重さは体重の2%しかないが、身体全体のエネルギーの20〜30%を消費している[3p194]。つまり、脳は他の臓器よりも大量の酸素が消費されている[3p247]

 第二に、脳の50%は脂肪でできていて[3p248]、脂肪の比率が多い[3p247]。これは、フリーラジカルが産み出される温床が多いことを意味する[3p248]

 第三に、脳内には鉄が豊富に含まれているが、これも脂肪の酸化を進めるスパークとなる[3p247]

第四に、もともと抗酸化物質が不足しやすい。だから、米国タフツ大学のジェームズ・ジョセフ博士は、臓器の中でも最も抗酸化能力が低いのが脳だとする[3p250]

 実際に変性脳疾患の患者の脳では、フリーラジカルがダメージを与えていることがわかっている。ケンタッキー大学の老化センターによるアルツハイマー病患者の脳と健常者の脳との比較研究では、アルツハイマー病患者の脳では過酸化脂質が高濃度で検出され、かつ、抗酸化酵素カタラーゼの活動も高まっていた。なんとかフリーラジカルのダメージから細胞を守ろうと試みたが、防ぎきれなかったのだ[3p258]

抗酸化物質はネットワークを組んでフリーラジカルを防いでいる

Laster-Packer.jpg とはいえ、フリーラジカルが細胞内の核内部のDNAと接触してダメージを与えることを防げれば発病はしない。抗酸化物質が遺伝性疾患病への罹患を防ぐうえでも大切なわけはここにある[3p257]。そして、抗酸化物質は息の合った絶妙なチームワークを組むことによってフリーラジカルのダメージを防いでいる。このことが解明されたのも比較的最近のことだ。それまでは抗酸化物質はそれぞれ別々に働くと考えている研究者もいた。けれども、カリフォルニア大学バークレー校のレスター・パッカー(Lester Packer,1929〜2018年)教授が「抗酸化物質ネットワーク理論」を打ち出すことで、抗酸化物質の効果が最大に発揮される仕組みがみえてきた[3p254]

 では、抗酸化物質がフリーラジカルのダメージをどのようにして無力化しているのだろうか。まず、抗酸化物質はフリーラジカルと融合して電子を与えることで安定させる。けれども、逆に抗酸化物質自体が不安定化しフリーラジカルとなってしまう[3p254]

 とはいえ、活性酸素よりは反応力が低いため害は大きくはなくすぐに分解される。おまけに、近くにある別の抗酸化物質から電子をわけてもらえば、元の状態に戻って戦線に復帰できる[3p255]。ビタミンEは脂溶性であることから細胞膜でフリーラジカルのダメージを防いでいる[4p73]。ビタミンEも酸素ラジカルを無害な形に分解するが、一度働ければすぐに役立たずになってしまう。一発しか弾がない火縄銃をもって戦っているようなものだが、ビタミンCがあると次のフリーラジカルと戦えるようになる。脇にいて銃に弾を詰めているようなものだ。ただし、ビタミンCもひとつしか弾をもっていないので、一度それをビタミンEに渡してしまうとそれっきりである。単発の火縄銃が二連発になっただけの話である。けれども、ここにビタミンB2やB3があるといくらでもビタミンCに弾を詰めてくれる[1p173]。つまり、ビタミンEは、ビタミンCやコエンザイムQ10から電子を受け取ることで、抗酸化物質としての力を取り戻す[3p252,3p255]。ビタミンEが銃を撃つたびに素早く弾込めをして手渡せるようになり、いきおいビタミンEはフリーラジカルをなぎ倒す機関銃に変身する。つまり、ビタミンEは、ビタミンCとビタミンB2、ビタミンB3と一緒に取ることが理想なのである[1p174]

 とはいえ、こうした蘇生力を持つ抗酸化物質は限られ、パッカー教授は、ネットワークを形成する抗酸化物質として、ビタミンE、ビタミンC、グルタチオン、コエンザイムQ10、リポ酸をあげる[3p255]。このうち、リポ酸は他の抗酸化物質だけでなく、リポ酸そのものも蘇生させる能力を持つ[3p256]

ファイトケミカルを含む野菜と果物で抗酸化レベルは高まる

 なお、ベーター・カロチンにも抗酸化作用がある[1p172,1p176]。1968年にフート・デラー博士はベーター・カロチンが植物をフリーラジカルから守っていることを発見し、その後の実験動物を使った研究でもベーター・カロチンが抗酸化物として働くことを確認している[1p176]。つまり、ほんの過去十年ほど前だが、野菜や果物には、ビタミンとミネラル以外に強力な抗酸化力を持つファイトケミカルがあることがわかってきた[3p259]。色が濃い野菜や果物に含まれるフラノボイドには4,000種類もの抗酸化物質が見出されている[3p260]

 米国農務省の研究者たちは、トマトに含まれるリコピン、緑色野菜に含まれルティン等の抗酸化物質を分析・定量化してきたが、さらに重要な研究がタフツ大学の農業研究者、グオファ・ハワード・ツァオ(Guohua)博士によってなされている。

 個々の抗酸化物質ではなく、食品全体のフリーラジカルを無害化する「活性酸素吸収能(Oxygen radical absorbency capacity=ORAC)」を分析する方法を開発したのだ[3p260]。これによって、ORACは野菜と果物が高いことがわかったのである[3p262]

 栄養学の進展によって「漠然と野菜を果物を食べましょう」といったレベルではなくなっている。どのような野菜と果物をどれくらいの量を選択すればよいのかまで進んできている。タフツ大学でなされた実験から若者では5〜6日で抗酸化能が高まり、60歳以上の老人では10〜11日がかかるが、それでも若者と同じレベルまで高まる[3p269]

抗酸化食品を食べていたラットは老化が防げ、若返りもできた

 ヒトや動物では加齢とともに知覚機能を司る新線条体にある細胞がドーパミン等の神経伝達物質を放出する力が衰える。ラットでは中年までに反応力が40%失われる[3p271]。それは、フリーラジカルのダメージを受け細胞膜に備わっているレセプターの感度が鈍くなるためだとされている。

 そこで、タフツ大学のジェームズ・ジョセフ博士らは、ラットを対象に生後6カ月(人間でいうと20歳に相当)から記憶力が衰えはじめる中年期まで8カ月間に通常の食と試験食として(ホウレンソウ、イチゴ、ビタミンEを添加した食事)を与え、生後15カ月(人間でいうと45〜55歳)で[3p270]、水中に隠された休息用の台を見つけさせることで短期記憶と長期記憶の変化を調べてみた[3p271]

 その結果、対象食を与えたラットでは予想されたとおり記憶力が低下したが、試験食を与えたグループでは脳機能の低下が見られず、若いラットと変わらない量のドーパミンが放出されていた。新線条体の脳細胞の機能も対象群の2倍も高かった[3p272]。そして、ビタミンEよりもホウレンソウとイチゴの方が効果が高かった[3p273]

 この結果を受けて、ジョセフ博士は、人間でいうと65〜70歳に相当する高齢のラットに、ホウレンソウやイチゴよりも抗酸化力が高いブルーベリーを与えてみた[3p274]。8週間、これらを食べたラットは、すでに老化によって記憶力や運動神経、バランス能力が低下していたのだが、その脳は回復した。

「若者レベルになったラットもいますし、最悪でも中年レベルです。こんなに仰天したのは初めてです」とジョセフ博士は驚きを隠せない[3p275]

 短期記憶はすべてのグループで改善されたが、バランス等の調整感覚はブルーベリーをとったグループでだけ改善された。細い通路を高齢のラットに歩かせると5秒もしないうちにバランスを崩して転落してしまうのだが、2カ月間ブルーベリーをとったラットは、約2倍の11秒も台の上を歩けるようになった[3p276]。その理由は神経伝達物質を受け取る感覚を失っていたレセプターの一部が再び機能し始めたためであった[3p277]

人間
 それでは、このタフツ大学の動物実験は人間にもあてはまるのだろうか。フランス国立衛生医学研究所(INSERAM)が1,400名を対象にすでに研究を行っている。野菜や果物をよく食べ、それ由来のカルテノイドの血中濃度が最も高いグループは最も低いグループよりも論理判断や視覚注視力のテストの成績が35〜40%も高かった[3p278]。

 スイスのベルン大学のウォルター・ベリグ博士も65〜94歳までの健康な男女442名を対象に研究を行っている。現在と22年前の記憶力のテスト結果を比較したところ、ビタミンCとベータ・カロチンの数値が高い被験者が、記憶想起、記憶認識、語彙記録でいずれもよい成績をあげることがわかった[3p279]

 ケンタッキー大学のサンダース・ブラウン老化センターのデービッド・スノードン博士は、高齢の尼僧を対象に抗酸化物質リコピンの効果を調べた。77〜98歳までの88名のうち、リコピンが平均以下のグループは平均以上だったグループと比較して、介助を必要とする確率が4倍近くたかかった。スノードン博士はリコピンがフリーラジカルのダメージを中和したためだと推測する[p280]。そして、最近、イタリアでなされた研究によれば、トマトピューレから1日16.5mgのリコピンを21日とったところ、抗酸化力が高まり、DNAがダメージを受ける確率も3分の1減った[p281]

 フリーラジカルのダメージで細胞の全体的な健康が失われていくことが老化や様々な成人病の原因であることから、ビタミンB3(ナイアシン、ニコチン酸)には脳の機能を高めることが多くの研究から判明している[4p67]。そこで、ジン・カーパー(Jean Carper)は、「脳にとって最善のことは抗酸化物質を摂取することだ」と述べる[3p245]

編集後記

 本書は、米国の栄養ジャーナリスト、ジーン・カーパーの著作のまとめである。フリーラジカルのダメージを緩和するうえではミネラルとしてセレンも重要である。そこで、次回はセレンとミネラルについても書く。

【画像】
ブルース・エイムス名誉教授の画像はこのサイトより
オットー・ワールブルグ博士の画像はこのサイトより
ジェームズ・ジョセフ博士の画像はこのサイトより
レスター・パッカー教授の画像はこのサイトより
グオファ・ハワード・ツァオ博士の画像はこのサイトより
ウォルター・ベリグ博士の画像はこのサイトより

【引用文献】
[1] 丸元淑生『豊かさの栄養学』(1986)新潮文庫
[2] 丸元淑生『豊かさの栄養学2』(1991)新潮選書
[3] ジーン・カーパー、丸元淑生訳『奇跡の脳を作る食事とサプリメント上』(2013)ハルキ文庫
[4] ジーン・カーパー、丸元淑生訳『奇跡の脳を作る食事とサプリメント下』(2013)ハルキ文庫
posted by fidel at 22:06| Comment(0) | 有機農業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月01日

シン・オーガニックへの道のり:土と内臓を読み直す・下

光合成でゲットした4割の資産を地下に投資する植物たち

 植物は光合成で合成した炭水化物、アミノ酸、ビタミン、フィトケミカルに富む微生物の餌を「滲出液」の形で根圏から放出している[1p120,2p46,3p76]。例えば、タバコは2,500種類ものファイトケミカルを作り出している[1p120]。その量は光合成をした量の3分の1以上、20〜50%に及ぶ[2p46,3p78]。まるで、農家が収穫物の3分の1を畑の端において道いく人に持っていかせているようなものではないか[1p122]。科学者たちは、最初は、これは根から消極的に漏れてしまうものなのだと考えていた。けれども、根の表面細胞からは他の細胞よりも、ミトコンドリアや細胞内膜構造、小胞が多い「境界細胞」が見つかる。そして、「境界細胞」が滲出液を作って根から押し出す助けをしていることがわかった[1p122]

 つまり、根からの滲出液が微生物の餌となり、土壌微生物叢を支えている。微生物の身体が土壌の主な炭素源となっている[3p78]。最近まで科学者は土壌中の有機物はすべて枯れた植物質由来だと考えていた。けれども、研究者が炭素同位体(13C)で細菌に標識をして1年ほど試験圃場に放置したところ、土壌有機物の最大80%を占めていたのは死んだ微生物であることがわかった[1p113]。だから、土壌炭素の量は微生物に大きく左右される[1p120]。2017年になされた世界56の研究から、有機農地と慣行農地との16年の比較から、有機農地の方が微生物バイオマス量が50%多くの炭素と窒素が含まれ、微生物の多様性と活性も高かった[3p78]

 根圏では、適切な種類の細菌の棲息密度が一定数に達するとクオラムセンシングとして知られる情報伝達を誘発し、植物の生育を助ける化合物の放出が調整される。そのため、成長促進の効果がいっそう発揮される。言い換えれば、微生物は十分な数がいるときだけ、植物に影響を及ぼすように働く。そして、植物はこの見返りとして滲出液を出す[2p47]

 ニューメキシコ州立大学のディビッド・ジョンソン(David Johnson)准教授もトウガラシを用いて温室試験を行ってみたのだが、その結果、判明したのは、土壌有機物濃度が低い場合には植物が光合成で固定した炭素の97%以上は土壌に流れ出す[3p163]。つまり、植物はまず土壌有機物と微生物群を増やそうとする。そして、土壌有機物濃度が3%に達して、菌類個体数が多いと多くが生長や実の形成に使われる[3p164]。そして、植物は微生物がいないときではなく、有益な群集が存在するときに最もよく生長するのだ[3p78]

 もちろん、植物は抗菌物質を作り、病原体を殺したり弱らせたりすることができる。例えば、トウモロコシは、抗菌物質ベンゾキサジノイドを放出する[1p125]。植物は根から有機酸、糖質、アミノ酸を吸収さえする。ある植物は根から有機酸を放出しているが、この有機酸が根圏でリン吸収を高めている[1p129]。これほどの能力があるにもかかわらず、微生物を養うために根が養分を出しているのには次のようなメリットがあるからだ。

植物側が得る見返り―ミネラルは微生物がいることで提供されている

Kristine-Nichols01.jpg ロデール研究所の土壌科学者クリスティン・ニコルズ(Kristine Nichols)博士は、土壌化学と土壌物理学は土壌生物学に道を譲りつつあると主張する。

「化学や物理学が間違っているわけではないが、これまでの考え方は全体像を示しておらず欠けたものがある」と言う[2p176]

 モントゴメリー教授も大学で土壌の肥沃度を左右するのは、物理と化学だと教えられたが、「これは神話だ」と語る。間違いではないが一部でしかない。例えば、標準的な土壌の化学試験は水溶性の成分だけを計測するが、それはごく一部であって土壌有機物の中に抱え込まれた栄養分は土壌試験では出てこない。土壌生物が植物が利用できるようにミネラルを転換する能力が見落とされている[2p44]。土壌細菌や菌類は菌類自身は光合成ができないから、酵素と有機酸を出し、岩石や有機物に含まれるリン、亜鉛、鉄といったミネラルを放出させて植物が吸収できるように助けている[3p39,3p40]。例えば、リンは水溶性での植物可給態では長く存在しない。ほとんどのリンは微生物の助けがなければ利用できない[2p177]。リンや鉄は滲出液で繁殖する共生細菌が作り出す代謝物によって、キレート化されて植物が利用しやすいようにかわる。菌根菌があることでリン他の養分の吸収量は2〜3倍となる。その見返りとして植物は菌類に炭水化物を提供している[1p119]

Eve-BalfourS.jpg イブ・バルフォアが実践で見出したリンの動向は興味深い。有機区画の可給態リン濃度は晩夏にピークがあり、腐植含有量が高い畑で最も高い濃度が観察された。これは土壌中の生物活動が高まったためで[3p62]、作物が必要とするときに必要とされる量のミネラルを土壌生物が植物に利用できるようにしていることを意味する[3p63]。逆に家畜がおらず化学肥料を与えた区画では可給態リン濃度は不安定で、施肥直後の晩秋にピークがあった[3p62]。植物可給態ミネラルの供給源と季節的変動に関する発見がホーリー実験の「重大な貢献だとバルフォアは考えたが[3p62]、土壌生物が肥沃度を主に調節しているとの主張は当時としては、正統的な考え方に真っ向から挑戦するものだった[3p63]

 それでは、土壌有機物量を増やして、ミネラルを運ぶ微生物を復活させれば作物のミネラル量は変わるのだろうか。ある小麦農家が、通年畑を被覆することで除草剤を使わずに雑草を抑制できるか比較をした。2年後に収量は同じだったが、不耕起、除草剤を使わないと無機微量元素を加えないのに、ホウ素、マンガン、亜鉛を35〜56%、銅、鉄、マグネシウムは18〜29%も多く含んでいた。この増加は、いま報告されている歴史的なミネラル分の減少に匹敵する。土壌成分はわずか2年では変わり得ない[3p47]。つまり、被覆し除草剤を止めることによってミネラルを土から作物へと運ぶ地下微生物の大群が育ったのだ[3p48]

 デビッド・ジョンソン准教授の2009年の圃場試験でも、なにひとつミネラルを加えていないにも関わらず、植物が利用できる微量栄養素が、銅で40%、亜鉛で62%増え、モリブデンと鉄は10倍以上、マグネシウムと窒素はほぼ2倍となった[3p165]

 つまり、微生物が増すほど、銅や亜鉛等、植物が利用できる養分は増える。ほとんどの土壌には、すべてではないが、植物が育つために必要な元素が含まれているが、それが植物が吸収できるカタチであることが必要だ。それを転換するのが微生物なのだ[2p48]

 慣行農場とリジェネラティブ農業の栄養素を比較した研究では、後者の方がビタミンKが3分の1、ビタミンEが15%、ビタミンB1が14%多く、総フェノール類、ファイトステロール、カルチノイドも15〜22%多く、カルシウムは11%、リンは16%、銅は27%多く含まれていた[3p158]

植物が得る見返り―窒素も微生物から提供されている

 イブ・バルフォアの実験では、主流の考え方とは相反し、化学肥料をつかっていないのに可給態窒素の量は有機区画で最も高かった。一方、家畜がいない区画は毎年窒素肥料を加えていても土壌窒素は増えていなかった。作物は畑に施肥された肥料の半分以下しか吸収できず、残りは流出して下流の水を汚染した。ここからバルフォアは、化学肥料の施肥は無駄であることが証明されたと結論づけた[3p62]

 ヒルトナー教授は、ある種の細菌が窒素を利用できるようにしていることに気づいていた。マメ科植物はフラノボイドというフィトケミカルを作り出し、根滲出液中から放出する。すると、リゾビウム属の根粒菌は根圏に引き寄せられる。そして、植物に対して「ノッド因子(nodule-forming factor)」と称される特殊な分子で答える。この分子が身分証明書の役割を果たし、その細菌が間違いなく根粒菌であることを植物に伝える。こうして植物との関係が築かれる[1p126]

 窒素固定細菌はマメ科植物だけでなく、ハンノキ、ポプラ、ヤナギの他、コーヒー、トウモロコシ、サトウキビの根圏でも棲息していることが発見されている。窒素固定菌による窒素の提供量は約225kg/haにも及ぶ。これは、コムギやトウモロコシでの窒素施肥量100〜225kg/haを十分に埋め合わせる。サトウキビの茎内で繁殖するアケトバクター・ジアゾトロピカスは最大で約175kg/haの窒素を固定し、やはり化学肥料の代替えとなっている。窒素肥料が発明されるまでは植物内の窒素のほとんどは細菌に由来するものであった[1p127]

 犂は農家と土壌にとって諸刃の剣である[3p68]。耕せば一時的に土壌微生物による有機物の分解が進むから、栄養素も放出されて成長速度が一気に高まり[3p68]、細菌群集は急増する[3p70,3p71]。けれども、窒素が直ちに利用できるとはいえ、作物が成長で窒素を必要とする時期はもっと後だ。このずれはいわば赤ん坊にステーキを食べさせるようなもので、たいがいが放出された窒素は畑から流亡する[3p71]

 細菌や菌類は腐植者であるため有機物を食べる。節足動物、センチュウ、原生動物は捕食者であるため、それを食べる。微小な捕食動物の排泄物は窒素、リン、微量栄養素を含み、優れたミクロ堆肥となる[2p48]

 典型的な土壌試験の手順では、窒素固定菌がどれだけ窒素を供給できるか、分解によってどれだけ窒素が有機物から放出されるかは測定されない。だから、窒素が過剰施肥になる。土壌有機物と生物活性が最高レベルの農場での窒素施肥の最適量はゼロである。言い換えれば、健全な土壌に窒素を与えることは金の無駄なのである[3p76]

吸水範囲が広まり旱魃に強くなる

 例えば、植物は、アミノ酸の分泌液であるトリプトファンを根から放出するが、根圏に棲む細菌はこれを植物成長ホルモン、インドール酢酸に変える。これによって、植物の根は長く伸び、支根が生え、根毛の密度が高まる[1p124]

 菌根菌と植物との化学信号でのやりとりは窒素固定菌のようにはまだ良くわかっていないが、菌糸にも「ノッド因子」に相当する「ミック因子」がある。まず、菌糸が枝分かれをはじめ宿主の根と接触すると、植物はフラノボイドを放出する。菌根菌は植物体には侵入できないが、根毛の延長として機能し、根系の表面積を10倍にも増やす[1p128]。当初、根は単なる植物の支えでしかなかった。菌類が植物のための吸収をしていた。土壌が形成されはじめてからようやく植物は根を進化させた[2p177]


k9972-1i.jpg
 ロデール研究所のクリスティン・ニコルズ博士は、ヘンリー・ウォレス農業研究サービスの持続可能な農業システム研究室の土壌学者、サラ・ライト(Sara F.Wright)博士の下でグロマリンを研究していた。

 菌根菌は最初に作るのが菌糸であり、次に菌糸の壁でグロマリンを作ってそれを土壌中に放出する。なぜ、土壌の中にでていくだけの物質をつくるためにこれほどのエネルギーを注ぐのだろうか。それは、なぜ植物が炭素が豊富な糖を根から土壌中に放出しているのと似ている。グロマリンは分解しずらいために微生物の餌にはならないが、菌糸の壁の防水剤となる。樹脂塗膜のように働くことで、菌糸は物資を土壌中で長距離輸送できる。同時に、グロマリンは接着剤のように働いて土壌が団粒を作るのを助ける[2p179]。つまり、菌根菌は土壌浸食を防ぎ、土壌の物理性を改善し透水性を高める[1p119]

 シンギングズ・フロッグス農場では、ある生物から別の生物へと窒素が循環するため窒素は流亡していない。表面流出も起こらない[3p145]。そして、水の浸透速度は近隣のブドウ畑の25倍以上も早く1時間に500mm以上の降雨を吸収するのに匹敵する[3p148]

植物側が受ける見返り―病害虫防除

 滲出液に非病原性細菌が引き寄せられ、養分を消費すれば病原菌は餌を得られない。また、有益微生物が根の表面に集まれば、根を覆う生きた保護被膜となる[1p123]

 さらに、葉が病原菌に攻撃されると、植物は根の細胞に化学物質でメッセージを送る。根の細胞はリンゴ酸を含む滲出液を放出し始める。枯草菌が引き寄せられ、数時間のうちに根に集落を作る。そして、枯草菌が出す物質によって、植物の気孔は閉じられ、病原体を防ぐのである[1p125]

 菌根菌も地下で植物に信号を送りトマトべと病等を引き起こす病原体に対する防御を助けている[3p40]

 さらに、根圏細菌は主に、放線菌、フィルミクテス、バクテロイデスからなるが、とりわけ、放線菌が、病原性の菌類、菌類、ウィルスを阻害する物質を生産する[1p125]

 動けない植物は昆虫や草食動物を追い払ううえでも、土壌微生物が代謝で作り出した物質を発散する[2p48]。根からの滲出液という報酬を提供することで、農薬製造を外部委託しているとも言える[2p49]。細菌群集は病原体を抑制し、活性化された有益な土壌センチュウは植物に寄生するセンチュウを抑え込む。だから、生産もより高くなる[2p50]

土壌有機物は根からの滲出液が作っている

 多くの植物は窒素固定細菌と共生している。トレーサーでタグをつけた肥料を使った実験からは、作物が土壌有機物から多くの窒素を取り込んでいることがわかる。だから、窒素肥料を多く使うと有機物の分解速度を上げる微生物に餌を与え、土壌有機物量を減らしてしまう[3p75]

 ディビッド・ジョンソン博士は2009年に圃場試験を行った。実験開始時には土壌はかなり痩せていて0.4%しか有機物が含まれていなかったが[3p164]、4年目には2倍の1.2%となり、菌類群集も20倍以上に増えた。そして、2019年には1.7%と4倍に増えた[3p165]

 クリスティン・ニコルズ博士が案内した慣行農法の試験区画ではA層が23pしかないが、有機区画は30.5cmもある。1981年からの試験で7.5pも余計に表土を作れる。10年で2.5cmに近い[2p181]

 サンクランシスコの小規模野菜農場、シンギングズ・フロッグス農場のポール・カイザーとエリザベス夫妻(Paul and Elizabeth Kaiser)は、2007年に土地を手に入れた[3p139]。当初は耕起していたが、止めた。[3p140]。有機物含有量は1〜3%だったが、不耕起にすると1年に平均1%高まり、10〜12%で安定した[3p142]

 土壌有機物と土壌の健康が最も増加するのは、不耕起と被覆作物、多様な作物の輪作を組み合わせた場合である[3p73,p74]。例えば、ブラジル南部での25年に及ぶ研究では、慣行農業で耕起すると土壌有機物が自然な土壌の5分の1以下まで減少した。しかし、不耕起、被覆作物や多様な輪作に転換するとわずか20年で土壌有機物はほぼ完全に回復した同様の結果は、ガーナ、オハイオ、カナダのサスカチュワン、南北ダコタでも目にできる。リジェネラティブ農業が土壌有機物を現地の自然の土壌に近いか、あるいは、それを上回るレベルまで回復させている[3p73]

 慣行農場の土壌では有機物が2〜5%しか含まれていないのに対して、リジェネラティブ農業の土壌は一貫して有機物が多く、3〜12%含まれている。土壌健康スコアも慣行農場のスコアが3〜14であるのに対して、11から30と高い[3p158]

共進化してきた植物と微生物の関係を壊す

Justus-von-Liebig.jpg リービッヒが腐敗した有機物が必須栄養素を土壌に戻していることをようやく理解したのは晩年のことだったし[1p86]、リービッヒの時代の科学者たちは、土壌微生物の働きも見落としていた[1p130]

 なぜ、菌類と植物が協力関係を築いたのかを知るには進化史に目を向けるといい[3p43]。最初の植物は4億5,000万年ほど前に進化したが、当時から根と共生する菌根菌と共生してきた[2p46]。植物と菌類との共生関係は、マメ科植物と窒素固定菌との関係よりもはるかに古い。裸子植物ではすべて、そして、顕花植物では約80%が共生関係を結んでいることからもそれがわかる[1p128]。根圏にある太古からの関係を断ち切れば、微量栄養素の作物への移動に影響がある[3p40]

耕起は土壌生態系を攪乱し天敵を減らす

 第一は、耕起だ。習慣的に耕すことは絶え間ない災害のようなもので土壌有機物の蓄積が追い付かず、地下の生物群集の力を弱める[3p71]。一般に言われる地面に降った雨が染み込みやすくなるというのは誤りだ[3p68]。水を地中へと運ぶ自然の通り道が破壊される。1995年になされた100本を超す査読論文のレビューから耕起が土壌食物連鎖を攪乱することがわかっている。2014年の研究からミミズは作物収量を平均25%増やすのだが、耕起はミミズを殺す[3p69]。1世紀にわたる長期試験を対象とした2018年のレビューから、ミミズバイオマスが平均で80%も以上失われることがわかっている。逆に不耕起の農地は犂を入れたことがない草原と同じほど多くのミミズ、2〜3倍も多くの微生物がいる[3p70]

 耕起は害虫を食べるクモを減らす。また、生け垣や樹木をなくせば捕食昆虫が減る。だから、害虫駆除の必要性が増す。逆に不耕起栽培とマルチをするとクモ等の捕食者の群集が多様化する[3p204]

 2018年にコーネル大学と米国農務省が慣行農法での耕起と不耕起の畑を比較したところ、12年不耕起栽培した畑は土壌有機物量と微生物バイオマスが多く、表面流出が少ないことがわかった。堆肥を組み合わせるとさらに望ましい結果が得られる。

 カリフォルニア大学デービス校の20年近い比較研究では、化学肥料を施肥した農地では土壌有機物は増えなかったが、被覆作物と鶏糞堆肥の双方を使うと土壌炭素濃度が年間に0.6%程度増えた[3p72]。1992年にドイツのミュンヘン北部で始まり21年に及ぶ有機と慣行、耕起と浅耕を比較した研究からは、微生物は有機物で増え、菌類は最小耕起から恩恵を受けることがわかる。つまり、豊かで多様性に富む細菌と菌類の集団が欲しければ、細菌に餌を与え、菌類をかき乱さなければよい。有機肥料と最小耕起の組み合わせがベストなのである[3p152]

 耕起と最小耕起、不耕起栽培とでトウモロコシ、ダイズ、オオムギのエルゴチオネイン量を比較した2021年のペンシルベニア州立大学の研究によれば、不耕起で最も多かった[p380]

化学肥料は微生物・ファイトケミカルを減らす

 第二は化学肥料だ。化学肥料を大量に使うと土壌が酸性化し、土壌微生物群集が変わる[2p49]。化学肥料から栄養分が手に入るので植物は窒素、リン、カリウムを土壌に棲む共生生物からもらわなくてもすむ[3p77]。だから、植物は根から滲出液を放出しなくなる。結果として、根圏の微生物は餓死してしまう[2p49]。また、化学肥料を使うことで土壌の窒素量が増えると菌根菌の量と多様性が減る。したがって、化学肥料で窒素を与えるほど菌類との関係から得る利益が減る[3p77]。窒素は入手できても、それ以外の元素は土壌生物がいないと手にはいらない[2p49]。栄養分を提供する菌根圏を根絶し、病害虫を抑制する微生物の役割が失われれば、それを化学肥料と農薬で穴埋めしなければならなくなる[2p50]

 窒素肥料を施肥すると植物の防御に欠かせない後述するファイトケミカルの生成が減る。例えば、リンゴに多量の窒素肥料を施肥すると生長は促されるが、若葉に含まれるフェノール系のファイトケミカルが減る。植物は窒素固定細菌を根圏に呼び寄せるためにファイトケミカルに富む滲出液をわざわざ作り出す必要性がなくなるからだ。このため、化学肥料を施肥したリンゴはリンゴ黒星病に感染しやすくなる[3p112]

 化学肥料を使うと害虫が増えるため[3p206]、農薬必要性も増すのだが[3p205]、それは、窒素肥料を大量に施肥すると葉に多くの窒素が含まれ、害虫の繁殖力も増すからだ[3p205]。害虫もまたその食べ物が食べたモノからできている[3p206]

 そして、植物は栄養が不足したり厳しい状況におかれるとフラノボイドを増やす。慣行栽培で栽培された作物は肥料によって甘やかされているため、フラノボイドを産生する刺激が足りない。これが有機農業ではフラノボイドが増える理由だ[3p178]。有機栽培されたイチゴの抽出物は慣行栽培のイチゴの抽出物よりも癌細胞の増殖を防ぐ効果が高いが、これも抗酸化ファイトケミカルの濃度が高いためだとされている[3p192]

 現在主流の農法の支持者は、化学肥料によって収量が高くなったことを指摘し、化学肥料がなければ我々は皆飢え死にすると主張する。しかし、有機農法の生産量が低いことを報告する研究の多くには、移行期や劣化して有機物に乏しい土壌の名残りからのデータが含まれている[3p74]

グリホサートはミネラルとファイトケミカルをなくす

 第三は、グリホサートだ。植物は動くことができない[3p109]。無防備であれば草食動物の格好の標的だ。だから、有害な菌類を阻止する抗菌作用を持ったり、草食性の昆虫や哺乳動物から身を守るためファイトケミカルを作り出している[3p110]。つまり、化学合成農薬が登場するまで、数億年も植物はファイトケミカルを用いることで害虫に抵抗してきた[3p199,3p203]。例えば、ブロッコリーやケール等が作り出すスルホラファンは嫌な味がするため昆虫は食べない[3p111]。そして、植物はシキミ酸回路を用いることでフェノール類を作っているが、この回路をグリホサートは遮断する[1p179,3p204]。だから、慣行作物はフェノール類の含有量が低い[3p204]。つまり、グリホサートはファイトケミカルを減らす[1p179,1p374]。ファイトケミカルはミネラル分を獲得するうえで役立つ。植物はフラノボイドが豊富な滲出液を放出することで、窒素を固定したり、鉄、亜鉛、銅を可溶化する微生物を引き寄せているからだ[3p111]。だから、栄養に不足すると植物は通常フェノール化合物の生成を増やす[3p112]。そして、ミネラルはストレスや病気への抵抗力の中心となる植物のメカニズムを調整する酵素に欠かせない成分である[3p115]

 ところが、グリホサートもともと金属キレート剤、腐食したパイプの内側の金属屑を取り除くために作られ、1964年に特許が取られた。モンサント・ケミカルが除草剤としての特許を取得するのは1969年だ。金属キレートが土壌に加わると、銅、鉄、マグネシウム、亜鉛等を結合して、土壌微生物叢や植物に利用できなくなる[3p81]。例えば、グリホサートは銅や亜鉛の取り込みをかなり減らすし[3p114]、マンガンと結びついてファイトケミカル合成に関わる30数種の酵素を活性化させる補因子を植物から奪う。マンガンが欠乏した植物はリグニンやフラノボイドの生成量が少なくなり病原体に対して脆弱となる[3p115]。そして、グリホサートは窒素固定菌がコロニーを形成する能力も阻害する[3p114]

 グリホサートを散布すると菌類による根腐れ病が起こりやすくなることが1980年代には記録され、その後の研究でメカニズムも特定されている。グリホサートを使うと根圏の微生物叢が変化し、その結果、病原体のコロニー形成を抑制する作物の能力が低下するのだ[3p113]。1997〜2007年までの10年にわたるミズーリ大学の研究ではグリホサートで処理したダイズは病原性菌類の根でのコロニー形成が未処理のダイズの2〜5倍にもなることがわかっている[3p114]

 微生物によるリンの輸送がグリホサートの使用によって最大84%も減少した研究もある。これは、グリホサートを使えば使うほど肥料の必要量が増えることを意味する[3p84]

 そして、グリホサートはミミズにも影響し、オーストラリアの実験では、3カ月もたたないうちにミミズの繁殖は半数以下に減った。フランスでの5年にわたる研究では除草剤や農薬を減らすとミミズが4倍に増えることがわかっている[3p82]

 実は、害虫に齧られたり低レベルで病原体に暴露されてダメージを受けると作物のファイトケミカル濃度を高める。この結論は、食欲旺盛な捕食者が大半の害虫を食べてくれるのであれば、害虫をすべて殲滅すべきではないということだ。作物を悩ませる害虫は多少いる方がいい[3p206]

リジェネラティブ農業で大地健全さを復活できる

Albert-Howard.jpg たとえ、土壌に肥料を加えても、それが植物の中に入る補償はない。栄養素が使われなければ、そこにあっても無駄に終わる[1p130]。ハワード卿もイブ・バルフォアも菌類が作物にとって有益であることは理解していたが[3p378]、こうしたダイナミックなメカニズムが働いていたことはハワード卿は知ることができなかった[1p129]

 植物の内部に棲む内生菌、エンドファイトは植物細胞内で植物の生長を促進したり、病害虫の耐性を向上させる物質を放出している。こうした関係は植物ではありふれたものだが、解明が進んでいる事例は少ないが[1p127]、当時よりも理解は格段に進んでいる[3p378]。ハワード卿が「還元の原則」を提唱してから半世紀が経過して、ようやく、そのカラクリがわかってきた。肥沃度は化学や物理だけではなく、土壌生態系と栄養循環が重要だったのである[2p49]。有益細菌の減少と菌類病原体の活性化は、ハワードとバルフォアが漠然と気づいていた工業型農業のマイナス面とぴったり一致する[3p84]

 ニューメキシコ州立大学のディビッド・ジョンソン博士とフェイ=チェン・スー・ジェンソン夫妻は、パイプを入れることで切り返しをせずに、堆肥の好気性と湿度を保つ「バイオリアクター」を発案する[3p160]。バイオリアクターの堆肥は市販の堆肥や化学肥料と比べて生長が2倍になる一方、窒素、リン、カリの可給度が生長と相関がないことを見出した。関係していたのは、菌類と細菌の比率で、相関係数は0.88であった。菌類が多いほど生長が促される。これは一般的な農学の見解とことごとく反する[3p163]

 有機農法の作物は一般に病害虫問題がさほどひどくならない。1995年のカリフォルニア大学デービス校のレビューは菌根菌の数が多いことが原因だとしている[3p116]

Bryan-OHaraS.jpg ニューイングランド州のコネチカットのタバコ・ロード農場のブライアン・オハラ(Bryan O'Hara)は1990年から有機農業を始めた。当初、農場の有機物含有量は3%、pH4と酸性だったが、いまでは最大で11%、pHも中性となっている[3p129]。土壌生物のはたらきのため[3p137]、農場のある地域の土壌はもとより亜鉛や銅の濃度が低いが、農場の作物の微量濃度は十分にある[3p136]。不耕起で地面がいつもマルチか植物に覆われた状態にしておくことが農場の鍵である[3p134]。劣化した土壌を回復させるには、有機物含有量を増やすことが必要である。有機物は土壌細菌と菌類の餌となり、微生物バイオマスだけでなく植物バイオマス量も増やすからだ[3p151]

 慣行農法とリジェネラティブ農業を比較した2012年のアイオワ州立大学の研究は、収量や収益性が慣行を上回り、窒素や除草剤の使用量が5分の1以下で、表面から流出する窒素やリンもわずかだった。14年にわたるフランスの研究では、有機農業や保全農業では、ミミズ等、肉眼で見える土壌生物が2〜25倍となり、微生物(細菌と菌類)は30〜70%も増えた。そして、不耕起と被覆作物の組み合わせが最も土壌生物叢のためになることがわかった[3p85]

ミネラルとファイトケミカルを重視した食に転換する

 近代農業は、なによりも収量を優先して追求してきた。大量の化学肥料や農薬を使い、収量増のために品種を改良し、家畜の生理にあわない飼料や飼育環境を作り出してきた。結果として、有益な土壌生物が根絶やしにされ、栄養循環が妨げられ、ファイトケミカル、ミネラルが減り、脂肪の組成も変わった[3p385]

 人間は岩を食べられないが、岩を食べたものを食べることはできる。微量ミネラルは体内で決定的な機能を果たしている。例えば、赤血球が酸素を運ぶヘモグロビンを作るには鉄が必要だし、味覚や聴覚や免疫系が健全に働き、傷を治癒するには、亜鉛が欠かせない[3p37]。ミネラルは酵素の原料にもなっている[3p38]。だから、もし、作物に含まれる鉄が少なくなればその作物を食べる人間にも影響する[3p37]

 2005年にニューヨークの食料品店のホウレンソウやニンジンに含まれるフェノール含有量を調べた研究がある。オハラ農場とカイザー農場のホウレンソウのそれを比較すると、フェノールが4倍、ニンジンは60〜70%も多かった。土壌の健康はとりわけ、ファイトケミカル量に関係している[3p151]

 菜園の有機物含有量が1%から10%に増えたので、モントゴメリー・アン夫妻はケールの栄養成分を調べてみた。カルシウム、亜鉛、葉酸(ビタミンB9)が慣行栽培よりも遥かに多く、ファイトケミカルのスルホラファンも31ppm含まれていた[3p127]

 品種改良もファイトケミカルを減らす。米も白さを求めカルテノイドを失った[3p353]。苦味物質の味や香りも健康のための食指針なのだが、ファイトケミカルはその苦味のために、健康にとって有害だと長く考えられてきた。品種改良や苦味を除去することで食品産業は苦味成分を徹底的に取り除いてきた[3p185]。もっぱら口あたりがよい食事を作ることに力を入れて、うかつにも作物の内部の働きを阻害することで、身体の防御力を損なってしまったのだ[3p186]

 オハイオ州立大学の研究者がフライドポテトを食べて、素材が有機か慣行かを判断するという面白い実験している。皮を向いたジャガイモでは違いがわからなかったが、皮が付いていると被験者はちゃんと違いを知覚できた。有機ジャガイモの皮にはカリウム、マグネシウム、硫黄、リン、銅が多く含まれていた。つまり味は皮にあるのだ。別の研究から、ビタミンCの含有量は味に栄養せず、渋みや苦味はフェノール類の含有量が関係することがわかっている。つまり、ファイトケミカルとミネラルは味に影響するのだ[3p153]

 土壌、作物、家畜、ヒトの健康はつながっている。健康な土壌が健康で栄養豊富な作物、牧草、家畜を生み出し、それがひいてはヒトの健康を支えている[p385]

 病原体説がパラダイムとなったため、医学と農学は微生物との共生関係に目を向けなくなり、農地や身体は殺菌された[3p386]。土壌を癒すことと人間が本来持つ病気への抵抗力をよみがえらせることは、せんじ詰めれば、同じ基礎、すなわち、健康な土壌の上に立つ。農業政策は医療政策なのだ。農業と栄養学の統一理論が必要なのだ[3p395]

【画像】
ディビット・ジョンソン准教授の画像はこのサイトより
クリスティン・ニコルズ博士の画像はこのサイトより
イブ・バルフォアの画像はこのサイトより
サラ・ライト博士の画像はこのサイトより
ポール・カイザーとエリザベス夫妻の画像はこのサイトより
アルバート・ハワード卿の画像はこのサイトより
ブライアン・オハラの画像はこのサイトより
モントゴメリー・アン夫妻の画像はこのサイトより

【文献
[1] デイビッド・モントゴメリー/アン・ビクレー『土と内蔵』(2016)築地書館
[2] デイビッド・モントゴメリー『土・牛・微生物』(2018)築地書館
[3] デイビッド・モントゴメリー/アン・ビクレー『土と脂』(2024)築地書館
posted by fidel at 13:38| Comment(0) | 有機農業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月31日

シン・オーガニックへの道のり:土と内臓を読み直す・上

1804年:光合成の証明−植物は腐植で育ってはいない

 Jan-Baptist-van-Helmont.jpg人類史の大半を通じて有機物が土壌を肥沃にすることは明らかだった。農民も哲学者も腐植が植物を育てると信じていた[2p41]。自然哲学者は腐植が植物の栄養源となると考えていたし[1p84]、農民も畜糞が農作物の生育を助けることを知っていた[1p83]。この長年、抱かれてきた信仰を失墜させたのは、まず光合成の発見だった[2p41]

 1634年、フランドルの化学者、医師であったヤン・バプティスタ・ファン・ヘルモント(Jan Baptista van Helmont,1579〜1644年)は植物の生長と土壌の肥沃さの研究に着手する。植物には口もなければ何も食べない。じっと動かないのに大きくなっていく。錬金術師としてこの不可解な謎を解き明かそうとしたのだ[1p81]。ヘルモントはヤナギの苗木を鉢に植えて水だけをやった。5年後、木の重量を測定してみると、土の目方がほとんど変わらないのに75sも増えていた。木は水を取り込むことで成長する。これがヘルモントの結論だった[1p82]

Nicolas-Théodore-de-Saussure.jpg 1804年、植物生理学の研究者、スイスの物理学者ニコラス=テオドール・ド・ソシュール(Nicolas-Théodore de Saussure,1767〜1845年)は、ソラマメを小石と水で育て、ヘルモントの実験に再び取り組む。植物が消費する水の重量と二酸化炭素の目方を慎重に測定し、水と二酸化炭素を太陽光下で合成することによって生長していることを実証した。現在で言う光合成が発見されたのである。これは、数十分の1gの精度で目方を測定できる機器の扱いにも熟達した実験の名人でこそ可能なことだった[1p82]

 ソシュールの発見は、土壌から腐植を吸い上げることによって生長するとの認識に疑問を投げかけるものだった[1p82]。この研究は直感には反していたが[1p83]、ほとんどの腐植が不溶性で植物の根が栄養分を直接吸い上げることができないことも明らかとなる[1p84,2p41]

1840年:リービッヒ登場−腐植説の粉砕と化学肥料時代への幕開け

Justus-von-Liebig.jpg ここで、19世紀最大の化学者とされ、「農芸化学の父」とも称されるユストゥス・フォン・リービッヒ(Freiherr Justus von Liebig,1803〜1873年)男爵が登場する。リービッヒは1840年の画期的な著書『農業及び生理学に応用された有機化学(Die organische Chemie in ihrer Anwendung auf der Agrikultur und Physiologie)』において、当時広まっていた腐植説に異議を唱えた[2p280]。植物は炭素を土壌からではなく大気中から獲得している。そして、ほとんどの腐植は不溶性であって、植物は根から吸い上げることができない[2p41]。リービッヒは必須栄養素が欠如していると植物の生育は制限され、逆に不足する成分を追加すれば成長が促進されることも実証した[2p41]

 リービッヒと弟子たちは、植物の成長に欠かせない5つの主要元素、水、二酸化炭素、窒素、リン、カリであることを明らかにする。有機物は土壌の肥沃さを維持するうえでなんら重要な役割を果たしてはいない。腐植説を覆すことによってリービッヒは近代化学農業への道を切り拓いた[1p86]

Von-Humboldt.jpg リービッヒの考え方が支持された背景には1804年にドイツの探検家、アレクサンダー・フンボルト(Alexander von Humboldt, 1769〜1859年)が、ペルーの沖から化石化した鳥の糞を持ち帰っていたことがある。グアノには多量のリンに加えて畜糞の30倍以上もの窒素が含まれていた。荒廃した農地で耕作していた農民たちは祖父の時代に比べてわずかな収量しか産み出せていなかったが[1p87]、カルシウムやリン、カリを加えることで収量を回復できた[1p87,2p41]。そして、窒素とリンに富むグアノを与えても同じ効果が得られた[2p41]

1888年:空中窒素固定の発見

Lachmann-Johannes.jpg 1888年、ドイツの化学者、ポッペルスドルフ農業大学の農学者ヘルマン・ヘルリーゲル(Johannes Lachmann, 1832〜1860年)とダーメ農業試験場のヘルマン・ウォルファルト(Hermann Hellriegel, 1831〜1895年)教授はエンドウの根粒に住む微生物を発見する。二人はマメ科植物がコムギのような穀物とは違って窒素を減らさらないことに気づいた。さらなる研究から、マメ、クローバー等のこの根粒に生息する微生物が大気中の窒素を植物が利用できるアンモニウムイオンに転換していることもわかった。今日でいう空中窒素固定を発見したのだ[1p88]

Hermann-Hellriegel.jpg とはいえ、劣化した土壌にグアノとリン酸肥料を施したときの目覚ましい反応が、近代農業の基礎として、生物学よりも化学を重要視させていた[1p89]。農学者は、土壌の肥沃度は化学、物理学、地質学の結果だとみなし、肥沃度や土壌生物はその結果だと考えていた。だから、土壌生物学が重要だと考えるものはほとんどいなかった[1p87]

1909年:グアノの枯渇とハーバー・ボッシュ法の発明

 グアノの供給が19世紀末に減り始めると北米と欧州の農業生産は危機にさらされる。十分な窒素を確保することが最大の課題となった[2p42]。ウィリアム・クルックス(William Crookes, 1832〜1919年)卿は1898年のイギリス科学振興協会の会長として、年頭挨拶で、農業生産を維持し世界に食料を供給することが課題だとし[1p89]、大気中の窒素の利用方法を見出すことを呼びかけた[1p90]

 窒素は爆弾の原料でもある。1909年にドイツの化学者、フリッツ・ハーバー(Fritz Haber, 1868〜1934年)とカール・ボッシュ(Carl Bosch, 1874〜1940年)はアンモニアの合成方法を開発する[1p90,2p42]。化学肥料の効率は良くない。ハーバー・ボッシュ法では400℃の熱、350気圧、触媒が必要でエネルギーを大量に使用するうえ[2p92]、農家が施肥した窒素のせいぜい半分、40〜70%しか作物には取り込まれないからだ[2p42,2p92]。ほとんどの化学肥料は水に溶けやすいから大量に施肥すると河川、地下水、貯水池を汚染する[2p43]。けれども、窒素は荒廃した農地で収量をあげる化学肥料という奇跡を生み出した[2p42]

 第一次大戦後に連合国はハーバー・ボッシュ法の戦略的な価値に気づき、1919年のベルサイユ条約で窒素固定の秘密の引き渡すことを規定した[1p106,2p42]。そして、米国ではテネシー川に安価に電力を供給できるダムを建設する。ダムからの電力は軍需工場に転用できる肥料工場を稼働することとなる。

 第二次大戦中にイギリスも農家に対して作物に化学肥料を施肥することを強制する規則を設けた。政府は農家を助けるために経費の一部を負担したが、これは肥料産業を育成し収量を高めるためだけのものではなかった。肥料工場はすぐに弾薬製造にも転用できるし、その逆も可能なのだ[1p106]。事実、第二次大戦が終わると連合国は遊休化した軍需工場を肥料生産に振り向ける[2p42]。エネルギー効率が悪いことはほとんど当時は問題にならなかった。1950年代にはハーバーボッシュ法による窒素固定量は生物による固定量を超え、現在、人体内にある窒素の約半分はハーバーバッシュ法によって作られたものである[1p90]

1910年:東亜農業への視座―下肥を活用すれば収量はあがる

Franklin-Hiram-King.jpg ハーバーが窒素固定法を発明したのと奇しくも同じ年の1911年にウィスコンシン大学のフランクリン・H・キング(Franklin Hiram King, 1848〜1911年)教授は『東亜4,000年の永続農業』で、有機物を農地に戻す実践がアジアの農業を数千年にわたって支えてきたと主張した[2p284]

 キングは米国の慣行農業がどれほど地力を低下させてしまうかを知っていた。化学肥料の使用は一時的な解決にしかならないと考えていた。1909年、キングは生命保険解約して9カ月にわたるアジア旅行の資金を作った。そして、同年2月に妻のキャリーとともにアジアへと出発。同月19日には横浜港に上陸する[2p286]。翌朝に夫妻が目にしたのは、下肥を畑へと運ぶため、木樽を載せた荷車だった。

「なぜ、汚水を川や下水に流さないのか」と尋ねると通訳は「こんな貴重な資源を捨ててしまうのはもったいない」と答えた[2p287]

 キングはキュウリ畑で足を止めて収量を尋ねてみた。下肥を与えたそれは米国の収量の4倍だった[2p288]

 当時の日本の農家は平均5t/haも下肥を撒いていた。キングは畑に還元される窒素、リン、カリの量を推定し、作物として収穫されるだけの量が還元されていることを知った[2p287]。日本の農務局の推定では1908年には約2,400万tの家畜とヒトの排泄物が堆肥化されて農地に還元されていた[2p288]

 3月7日。夫妻は香港に到着し周辺の農家を調査した。そこでも、屎尿、畜糞等はきちんと集められて農地に還元されていた[2p287]

 極東全体では毎年1億8,200万トンの人糞が畑に戻され、その中には窒素100万t以上、カリ37万6,000t[2p287]、リンが15万tが含まれているとキングは試算した[2p288]。一方、欧米では毎年一人当たり窒素2〜5.5s、カリ1〜2s、0.5〜1.5sのリンが海に捨てられている。

「この栄養の損失は文明の偉大な功績のひとつとみられている」とキングは辛辣に述べた[2p288]

 秘密は糞の循環だけではなかった。長い経験からアジアの農民はマメ科植物を輪作に組み込むと土壌の肥沃度が高まることを知っていた[2p288]

 日本の奈良県の農業試験場ではオオムギの畝間にダイズが植えられ緑肥にされていた。オオムギの収穫の1週間後にダイズが収穫され、それからイネが栽培される。日本の農民は、オオムギ、イネ、マクワウリ他の野菜、オオムギ、イネという4年周期の輪作を行っていた[2p290]

 韓国の農民はトウモロコシやアワ2畝とダイズ1畝を交互に作っていた[2p290]

 山東省でも混作は例外ではなくあたりまえだった[2p290]。山東省の最も肥沃な地域の人口密度で試算すると、キングの故郷ウィスコンシン州だけで、当時の米国の全人口に近い8,600万人に加えて、8,600万頭の豚、2,100万頭の牛を養うことができた[2p289]。キングからすれば、アジア農業の方が優れていた[2p288]

 おまけにキングはアジアの農民から病害虫についての懸念も耳にしなかった[2p290]

 キングの著作は環境保全型農業の原理と一致する東洋農業の基本を正確に突き止めた名著だったが、その著作を完成させることなく1911年8月4日に他界する。妻が著作をウィスコンシン州で自費出版したが、結論を述べる最終章を欠いたままだった。この本が日の目を見たのは1927年にロンドンの出版社が着目し、アルバート・ハワード(Albert Howard,1873〜1947年)卿が有機の農業の基礎研究のために引用したためだった。その後、1940年代にジェローム・ロデール(Jerome Irving Rodale,1898〜1971年)が再版した[2p290]

1904年:根圏の発見

Lorenz-Hiltner.jpg 農学者、植物病理学者であるミュンヘン工科大学のローレンツ・ヒルトナー(Lorenz Hiltner:1862〜1923年)名誉教授は、1902年にミュンヘンに創設されたバイエルン農業植物研究所の初代所長に就任する[1p117]

 ハワード卿と同じくヒルトナー名誉教授も有害な病原体が土壌中に含まれていてもすべての植物が病気でやられないことに気づいていた。非病原性の微生物の密度が高ければ植物は病気にならない。さらに、有益な微生物は植物の健康にすら役立つ。こうした型破りな発想の下、ヒルトナー教授は微生物が植物の栄養に与える影響力の草分け的な研究を行ってみせた。実際、無菌の土壌に病原体を入れればその植物はやられる。けれども、消毒しない土壌ならば植物はやられない。このことから、土壌を殺菌すると発病抑止力が破壊されてしまうことがわかる。一方、その殺菌した土壌に体積ではわずか1,000分の1でも微生物が豊富な土を混ぜてやれば発病抑止力は保たれるのである[1p118]

 有益な微生物は土壌中の根の近くにいると植物にメッセージを送り、ヒルトナー名誉教授は根の周囲で微生物が多いことに気づき、これに「根圏=Rhizosphere」という名をつけた(1904年4月にドイツ農業協会での講演で初めて「根圏」という用語を導入し、根の分泌物とそれに関連する土壌微生物によって直接影響を受ける土壌領域と定義した)[1p119]。この根圏には、植物の根から放出される化学物質の作用を受けた微生物の群集がおり、その組成が植物の耐病性に影響しているのだ、とヒルトナー教授は考えた。この仮説はまさに正確だった[1p120]

1930年:ハワード卿登場と還元の法則の提唱

Albert-Howard.jpg アルバート・ハワード卿のキャリアは、1899年に、菌類学者として、西インド諸島農業局でサトウキビとカカオの病気を研究することから始まった。ハワード卿が疑問に抱いたのは元気な植物と病害虫にやられる植物があるのはなぜか、ということだった。1905年、ハワード卿はインド植民地政府の研究者としての職を得て、ニューデリー近郊のプサ農業研究所の30haの圃場で実験ができるチャンスを得る[1p91]

 実験に着手した卿は、地元で自給する農家が無農薬でも健康に作物を育てていることに気づく[1p92]。ハワード卿は現地での伝統的な小農の智慧や堆肥のメリットを学んだことから、健康で栄養である作物を栽培する鍵は、自然の循環の鍵となる土壌生物を育てることだとし[3p53]、1910年までには、リービッヒとはまったく対立する見解を抱くようになって[1p92]、化学肥料に疑問を抱き始める[2p43]。20年間もハワード卿は実験を続け、有機物には土壌の地力を回復させる力があり[1p91]、昆虫や菌類は傷ついた作物や弱った作物を取り除く清掃係であり、農薬はむしろ作物を不健康にするとの結論に達する[1p92]

 1924〜31年にかけ、ハワードは、地元の伝統農法に手を加え、インドール式処理法という堆肥製造法を開発する。その契機は、インド中央の農村インドールにおいて、インド中央綿花委員会が新たな研究所を設置し、卿に助力を求めたためであった。堆肥を入れることで収量は倍以上となり、病気もほとんどなくなった。プランテーションの所有者たちは感嘆した[1p93]

 ハワード卿は複雑な生物学的問題に対して小手先だけの化学的な解決法を売りつける企業を遅れていると考えた。植物病理学者は堆肥は腐りかけた植物や動物の糞便から出来ているのだから疫病の原因になると警告したが、卿は、菌類の感染で壊滅した1.2㏊のトマトを片付けて堆肥化した。立ち枯れはなかった。病原体は堆肥化で死滅していたからだ[1p94]

 1930年代には「還元の原則」を提唱し、有機物を土壌に戻すことが作物や土壌の健康に欠かせないとした[2p43,2p283]。1930年代の半ばにはインドール実験で洗練された方法は身を結ぼうとしていた。アジア、アフリカ、南アメリカのプレンテーション経営者は疲弊した農地を再生できていた[1p99]

 こうしてハワード卿は1940年に『農業聖典』を執筆する。そして、アジアでは作物の病害虫が驚く程少ないことを西欧の状況と比較してみせた[1p99]。例えば、1907年では日本はわずか0.1haの農地で一人を養えていた。1931年の国勢調査ではインドの農場の平均規模は1.2ha以下でマメ科植物を輪作に取り入れていた[1p100]。農民たちも化学肥料を継続して施肥すると作物の収量が低下するとハワード卿に話した[1p96]。そこで、卿はリービッヒの農芸化学を複雑な生物学的問題に対して小手先の化学的な解決法を遅れていると見なした[1p94]

菌根菌について気づいていたハワード卿

 ハワード卿は菌根菌が食物の根と何らかの形で手を組んでいることを直観的に知っていた[3p55]。1937〜38年にかけ、セイロン島のプランテーションでなされた茶の苗木を使った実験でも、堆肥を入れた畑の茶は25cmにまで育ち、主根も30cm伸び、その根には菌糸がからみついていた。けれども、化学肥料を施肥した畑の茶は15cmで、根も浅かった[1p102]

 実験ではよく出来た堆肥は菌根菌の成長を促進し、菌根菌が豊富な農地では収量も高く安定していた。だから、ハワード卿は菌類は腐植を餌として植物に栄養素を供給する根の延長として働いているのではないか。菌類こそが自然を再生していると考えた[2p43]

 栄養分がどのように植物に提供されているのかについての知識は当時は知られていなかったが[2p43]、ハワード卿は菌根菌が大きな役割を果たしていて[2p43]、堆肥が菌根菌と植物の根との関係を刺激するのではないかと考えた[1p102]

 したがって、化学肥料は有機物の代わりにはなり得ない。いくつかの元素を与えたとしても菌類が土壌中から集めて植物に提供しているすべてのミネラルや物資を提供できるわけではないからだ[2p43]。ハワード卿は微生物が土壌の肥沃度だけでなくヒトも健康にすると考えていた[1p285]。ハワード卿の見解は、化学肥料は土壌菌類と細菌の働きにダメージを与え、結果として、作物や家畜、ひいては人間の健康に欠かせない微量栄養素を運ぶ力が低下するというものだった[3p55]

 ロンドン近郊にあるある大規模な男子校では生徒に食べさせるためにたくさんの野菜を栽培していた。学校が野菜の栽培方法を化学肥料からインドール式の堆肥に切り替えると、学校で蔓延していた風邪、麻疹、猩紅熱が減った[1p286]。ここから、ハワードは肥沃な土壌で育った新鮮な食べ物はヒトの健康を促進すると結論づけた[1p287]

 ハワードは化学肥料はやがてゆきづまると確信していた[2p43]。農業聖典ではこう書いた。

「動植物の増加がどうやら化学肥料の施用に関連しているという確信が強まりつつある[2p43]。複合農業が行われていた昔は噴霧器もないし、口蹄疫の発生のような被害も今日と比較するとたいしたことがなかった。菌類の共生に関して気づく手がかりはいつでもあった。しかし、その手がかりを見つけられなかったのは、土壌の栄養分のみを研究対象とし、植物と土壌とが強い連動性を有しているという視点を見失っていたからだ」[2p44]

 化学肥料はステロイド剤のようなものだ。短期的には収量をあげるが、長期的には土の健康度を損ない、肥沃度が失われる[1p95,2p50]

1943年:レディ・イブ登場〜ホーリー実験農場が明らかにしたこと

 ハワード卿には支持者がいた。その中心人物は、レディ・イヴ・バルフォア(Eve Balfour,1898〜1990年)だった[1p287]


Eve-BalfourS.jpg
 バルフォアは、バルフォア伯爵の子どもで、レディング大学で学びイギリスの大学で農学の学位を受けた初の女性の1人となった[3p56]。1938年、バルフォアはハワード卿の堆肥を基礎とした農業と健全な、作物、家畜、人間を支える土壌生物の役割の思想に心酔した。バルフォアは自分の農場で実験をはじめた[3p57]

 バルフォアは、近くにあるウォルナット・ツリー農場32haと自分の農場54㏊をあわせてホーリー実験農場を作る[3p60]

 第一は作物残渣と畜糞だけが施される閉鎖系の有機区画とし、第二区画は、第一区画で産出した作物残渣と畜糞に加えて化学肥料を施肥[3p60]。第三区画は、家畜なしで化学肥料だけを施肥した[3p61]

 1945年にはバルフォアは、土壌協会を創設[3p61]。1952年には1回目の輪作が始まり、1961年に20年後の結果が報告された。有機区画の収量は低下せず、化学肥料を施肥しなくても地力が保持できることを示した。穀類の収量は低かったがタンパク質の含有量は一貫して高かった[3p61]

 1961年、土壌中の可給態微量元素量が比較された。家畜がいない化学肥料区画に較べて、有機区画は、マンガン、モリブデン、亜鉛、銅、ホウ素、コバルト、鉄で6〜20%多かった。微量栄養素では有機区画で育てた牛から絞った牛乳のビタミンCの含有量は化学肥料区画よりも15%多かった[3p64]

 有機区画で放牧された乳牛は健康で[3p61]、食べる餌の量が少なかったが、牛乳を15%も多く産出した[3p61]。有機区画で乳量が多くなった理由は、餌のためだ。混合牧草地の牛は同じ栄養を摂取するために、有機区画の2倍の餌を食べなければならなかったのだ[3p63]。鶏の成鳥の死亡率も有機では低く、卵をよく産み耐病性が高かった[3p64]

 土壌も変化した。1960年までに有機圃場の腐植の含有量は6%増えたが、家畜がいない畑の腐植は3%低下した。有機土壌は家畜がいない畑よりも保水力が5割も高かった[3p62]

 加えて、ホーリー農場の作物は害虫被害も受けず、雑草圧も低かった。除草剤が定期的に使われた混合区画と家畜なしの区画では雑草が増え、作物生産を維持するには除草剤の散布が欠かせないほど多くなった[3p63]

 ホーリー実験は1969年まで行われたが、資金不足で中断する[3p64]。1970年には破産を回避するため土壌協会は農場を売却し、実験は終った。1980年に土壌の追跡調査がなされたが、有機区画のミミズの発生量は依然として家畜がいない区画の2倍もあり、団粒構造を保っていた。一方、家畜がいない土壌は雨が降ると水たまりができた[3p65]

 バルフォアもハワード卿と同じく、菌根菌と土壌細菌が栄養を供給し、植物の健康維持を助け、栄養豊富な食べ物を生み出すことに貢献していると考えた[1p287,3p57]。そして、バルフォアは、土壌生物が一般に考えられている以上に中心的な役割を植物の栄養や健康に果たしているのではないかと考えた[3p58]

 ハワード卿とは違って、バルフォアは植物が栄養を得るために菌類を消費しているのではなく、菌類が植物の利用できる栄養を作り出しているのだと推論した[3p59]。肥沃な土壌で育った作物は病気にかからないし、そのような植物を餌にして与えられたり牧草地で食べている家畜も病気にかかりにくかった[3p59,3p60]。こうした効果は、そうした作物や家畜を食べた人間にも波及するとバルフォアは力説した[3p59]

 1943年のバルフォアの著作「生きている土(The Living Soil)」は今日なお刊行され続け、バルフォアの思想がいかに画期的だったかを伝える。その著作を読めば、現代の土づくりの最先端の考えと近いことに驚かされる[3p56]

 バルフォアは自分の観察結果をハワード卿の研究や旧来の見方に異議を持つ農家、農学者、医師が示す証拠や見解とあわせて、健康な土は、植物、人間、ヒトの健康をつなぐ糸だと主張した[1p288,3p57]。土壌生態系が肥沃な土壌と健康な作物の鍵であると唱え、健康な土壌で栽培された新鮮で未精製の食物が人間の健康の秘訣だと主張[3p57]。公衆衛生にまで自身の思想を広げたバルフォアは、英国民に新鮮で栄養豊富な食料を提供できるように農業省と保健省を合併させ[1p288] 、病院には土壌科学者を職員としておくべきだと[3p57]当時は非現実的だった考えまで提唱した[1p288]

1860年:リービッヒ再び

 土壌中の腐植は直接、植物に影響するのではないことをハワードは理解していた。微生物という仲介者の活動を通じてそれは働く。これはリービッヒの見落としていたことだった[1p103]

 リービッヒの著作が家畜糞のような有機肥料を化学肥料へと置き換える道を開いた。けれども、1863年の著書『農業における自然の法則』は、前掲書の主張と矛盾し、作物に栄養を与えるうえで有機物を畑に戻すことを推奨している[2p280]

 腐植中の炭素は植物の栄養とはならない。けれども、植物が必要とするそれ以外の元素が含まれている。化学肥料で1種類や2種類の元素だけを与えても、他の必須元素の欠如には対応できず、結果として土壌を疲弊させる。そうリービッヒは主張した。

 土壌の肥沃度は、土壌に化学的にどのような元素が含まれているかよりも、その化学物質が植物に利用できる可給態であるかどうかで左右される。そして、リービッヒは無機成分を植物が利用できる役割を土壌生物が果たしていることは知らなかった。けれども、岩石の風化は遅く、鉱物に縛り付けられた元素をそのままでは植物が利用できないことは認識していた。なればこそ、リービッヒは何世紀も多くの人口を養ってきた中国と日本の農業に着目した。中国も日本も家畜やヒトの排泄物を大地に戻している。だから、堆肥が肥沃度を維持・する能力は1,000年の経験によって確立されている。リービッヒはそう主張し[2p281]、有機物を大地を還元に還元し、クローバーやカブのような飼料作物を活用することも推奨した。リービッヒは土壌の多様性もよく知っていた。だから、小規模な実験を行って自分の農場には何が向いているかを自分で確かめ、すべての農場に同じ技術をあてはめないように戒め、今日の多くの農家がしているように、単純な土壌の化学分析を過信しないようにとも警告していた[2p282]。リービッヒは、カバークロップの活用、輪作、有機物の還元と再生可能農業に近いものを支持していたのだ。モントゴメリー教授はリービッヒが生きていたら、化学肥料依存の現代の農業には賛成しないだろうと推測する[2p281]

「スピ」として一掃されたハワード卿の思想

 けれども、ハワード卿の言葉に耳を貸す者はほとんどいなかった。第一は、腐植が植物の栄養素になるとの考え方は、前述したとおりリービッヒによって徹底的に否定されていたからである[1p86,1p91]。化学肥料を継続して施肥すると作物の収量が低下してやがて繁殖力を失うと農民たちはハワードにこぼしていたが[1p96]、農業試験場の研究者たちは理解しなかった[1p93]。劣化した土壌を回復するよりも難しいのは農学者の支配者層の意識を変えることだとハワードは気づいていた[1p96]

 農業の権威筋は、イギリスのロザムステッド(Rothamsted)試験場における数十年にわたってなされた圃場試験からこうした報告を一笑に付していた[1p96]。腐植説か。それとも無機栄養説か。その決着を付ける壮大な研究が、リービッヒ教授が理論を提唱した3年後の1843 年には、イギリスの地主、ジョン・ベネット・ローズ(John Bennet Lawes,1814〜1900年)卿によって始められていたからである[1p96]。そして、ハワードの時代にはロザムステッドの長期試験では化学肥料には収量維持に効果があるとの結論が得られていた。なお、1975年までなされた実験からは、100年以上にわたって堆肥が施肥された試験区で土壌の窒素含有量が3倍になっていたことがわかった。とはいえ、この結論はハワード卿の主張を援護するために登場するにはいささか遅すぎた[1p97]

 また、ハワード卿自身にも問題はあった。実物大の畑での実例証拠にこだわり、その見解を科学界に広めるため、統計学的な分析と小試験区での実験をあからさまに軽蔑していたのである[1p94]

 ニューヨークの医師、リチャード・ボンフォードは、化学肥料を使って栽培した食物には栄養が少ないとのロバート・マキャリソン卿やハワード卿の見解を酷評した。「科学的な手法を捨てて神秘主義を取ることは止めようではないか」と批判した[3p54]。ボンフォードの批判は、「農芸化学の進歩を疑うべきではない」とのその後のモンサントやデュポンの主張の前兆を見ることができる[3p55]

 ハワード卿の研究は、腐植に富む土壌で栽培した作物は病気への抵抗力が高く、そうした作物を食べた家畜も健康や回復力がもたらされることを示していた[3p56]。しかし、菌類や微生物等の土壌生物がどのように植物を助けて栄養分を受け渡すのかのメカニズムを特定できずきちんと説明できなかった[1p287, 2p43,2p44,3p56]。だから、大半の科学者はハワード卿が思いつきにすぎない妄想を抱いていると思っていた[1p286,1p287]。ハワード卿の考え方を近代科学ではなく、スピリチュアルなたわごとだと考えた[3p56]

 バルフォアも何が働いているのかは見えていた。けれども、どう働いているのを示すことはできなかった[3p57]。専門化が進んでいた科学界は、バルフォアの考えを小馬鹿にしたような目で眺めるだけで、関心を持つことはなかった[3p58]。土壌菌類がいかにして作物の健康を守るのかの確かな証拠を書いていた。メカニズムの特定という説明力がなかったためにその発想は科学界では無視された[3p59]一方で、劣化した農地で収量を回復させる化学肥料の奇跡的な効果は一目瞭然だった[2p44]

1980年:土壌生態学と微生物学の進展〜ハワード卿とヴァルフォアの哲学に追いついた世界

 1980年代以降の土壌生態学と微生物学の発展によって、栄養循環を左右し土壌の肥沃度に影響する微生物と有機物との相互作用についての理解が根本的に変わった[2p45]。微生物生態学の進歩からハワード卿やバルフォアの見解が正しかったことを証明している[3p59,3p65]

 遺伝子シークェンシグで微生物群集の構成やその土壌中や体内での行動がよくわかるより、植物や土壌科学、マイクロバイオームについて欠落していた知識を補完し、科学が追い付くことで、その早すぎた発想が大筋では正しかったことを理解するまでに半世紀がかかったのだった[1p286,3p56,3p57]

 ハーバード公衆衛生大学院の2020年の研究では炎症性の食事が循環器疾患のリスクを約40%高めることが突き止められている。これは、ファイトケミカル、繊維、オメガ3が豊富な未精製の食品で防げる。フィラデルフィアでなされた先駆的な研究によれば、1日3食、健康的な食事を半年宅配すると医療費が約3分の1削減できることがわかった[3p376]

 カリフォルニア大学サンフランシスコ校の研究者によれば、一人当たり入院1日に分の半分の経費でよい食事が提供でき、医療費が大幅に削減できるという。また、ペンシルベニアのある地域病院ではロデール研究所と連携して、2haの有機農場を病院内で始めた。これは、土壌学者と医師とを協力させようとしたイブ・バルフォアの理想が実現したものだ[3p377]

【画像】
ヤン・バプティスタ・ファン・ヘルモントの画像はこのサイトより
ニコラス=テオドール・ド・ソシュールの画像はこのサイトより
ユストゥス・フォン・リービッヒ男爵の画像はこのサイトより
アレクサンダー・フォン・フンボルトの画像はこのサイトより
ヘルマン・ヘルリーゲルの画像はこのサイトより
ヘルマン・ウィルファルト教授の画像はこのサイトより
フランクリン・H・キング教授の画像はこのサイトより
ローレンツ・ヒルトナー名誉教授の画像はこのサイトより
アルバート・ハワード卿の画像はこのサイトより
レディ・イブ・バルフォアの画像はこのサイトより

【引用文献】
[1] デイビッド・モントゴメリー/アン・ビクレー『土と内蔵』(2016)築地書館
[2] デイビッド・モントゴメリー『土・牛・微生物』(2018)築地書館
[3] デイビッド・モントゴメリー/アン・ビクレー『土と脂』(2024)築地書館
posted by fidel at 18:37| Comment(0) | 有機農業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする