2016年05月27日

安らかに死ぬためのアグロエコロジーB〜シャーマニズムの世界

資本主義社会は「平等」を目指す

 さらに、ハイデガーの技術論によれば、「調達する人間」も同時に「調達される資材」になっている。すなわち、人間も人的資材として調達されてしまう(2p177)。このように人間を「開蔵」に向けて駆り立てるものを「徴発性=ゲシュテル」と呼ぶ(2p178)。

 市場経済と消費社会は、様々なレベルで差異を消していく(2p207)。貨幣は出自、人種等に一切興味を示さない。良くも悪くも資本主義は平等で差別がない世界を目指す(2p208)

 ヴィトゲンシュタインは「科学は人間を眠り込ませるための手段である」と述べたが、同じことが何倍もの強度で貨幣についてもいえる(2p136)。貨幣を介在させることで、人々や食べ物の関係性は匿名化していく(2p135)。つまり、個々人は差異を消去された均質な人格へと還元され、誰もが交換可能な存在になっていく。ホテルのボーイも勤務時間が終われば高級レストランの客になれる。自己と他者は交換可能な部品となり、一人ひとりの人格を決定するのは、どの場所にどのくらいの確率で分布しているのかだけであり、その確率分布の仕方を決めるのはマネーなのである(2p208)

資本主義では人は匿名化して他者と出会えなくなる

 消費とは貨幣によって欲望を充足させることであり、欲望の対象を物質化することである。消費社会で出会う人間も、欲望を充足させるための手段であり、人ではなくモノとなる(2p210)。自分の手を汚さず、誰かのモノを奪ったり盗んだりして他人の労力と命で生きていくのが資本主義システムである。その象徴がグローバル・スタンダードと言われる米国型金融経済である(2p132)。そこで、この資本主義というシステムの下では、人々はますます深いニヒリズムに陥らざるを得ない(2p135)。貨幣経済に依存する度合いが高まるほど、非人間化していく(2p136)

貨幣によって人が孤立化するとき人はますますニヒリズムに陥る

 資本主義とは最初から最後まで個人を起点として機能するシステムである。孤立した人間が閉じた自己として生きることに適したシステムである(2p137)。こうして、他人に関心が持てなくなれば、関心は自分自身に向かうしかない(2p210)。要するに、西洋文明が産み出した「貨幣」「自然科学」「個人」の三つが同時に行き詰まっている(2p139)

環境や他者とつながっていた先住民は見事に死を迎えられた

フォレスト・カーターの『リトル・トリー』(2001)めるくまーるにこんなシーンが出ている。

「祖父の顔に笑みが広がった。今生も悪くはなかったよ。次にうまれてくるときは、もっといいじゃろ。また会おうな。そして、祖父は吸い込まれるように急速に遠くにいった」

20160527-Ishi.jpg シオドーラ・クローバーの『イシ−北米最後の野生インディアン(2003) (岩波現代文庫によれば、北米先住民ヤヒ族の最後の生き残りとされるイシが残した告別の言葉は「あなたはいなさい。ぼくはいく」であった。

 このような見事な死を迎えることが現在きわめて難しくなっている。現代人は死に対してきわめて未熟である(2p111)

 米国の社会学者・神学者、ピーター・ラドウィグ・バーガー(Peter Ludwig Berger, 1929年〜)ボストン大学名誉教授は、人類の宗教史をたどっていくと世界のどの地域にも類似した経験や考え方があるとし、これを「神話的基盤」と呼んだ。例えば、リアリティ全体をひとつの溶け合ったものとして認識することは、どの文化圏にも共通して見られる。そこでは、自然や人間、霊界、動物と人間との境界線は流動的であり、相互に行き来できた。人は「自己」を宇宙の一部として経験・理解していた(2p98)

20160527-Peter Berger.jpg 個人が明確な輪郭を持った「自我」として経験されず、部族や氏族の仲間や人間以外の環境とつながったものとして経験される神話的なリアリティの中では、死は意味をもたなかった。個人の輪郭がはっきりしていなければ、死の輪郭もはっきりしない(2p99)

 つまり、自然と他者と切り離されていなかったことによって、古代人はまっとうに死ぬことができた。そこで、まず、狩猟採集民の世界観を見ていこう。

太古から人類はシャーマニズムを持っていた

 ネアンデルタール人の埋葬跡やクロマニヨン人の残した壁画等、人類の精神文化史をたどっていくとシャーマニズムが見られる。その初源的な姿のヒントとなるのが、米国の先住民社会等に残されるシャーマニズムの伝統である(1p11)

 もちろん、レヴィ・ストロース(Lévi-Strauss, 1908〜2009年)に言わせれば、現在存在している部族社会は、「退行現象」を起こした社会であって、そのまま歴史上の原始社会と同一ではない。現在の部族社会に見られるシャーマニズムを太古のシャーマニズムとすることには無理がある。とはいえ、史実と異なるとしても、それを参考としていくしかない(1p12)

脱魂型のシャーマン

 シャーマンとは、自ら変性意識に入って聖なる源にコンタクトする者をいう(1p13)。そして、この変性意識は、「脱魂型」と「憑依型」とにわけられる。

 狩猟採集文化においては、体外離脱体験によって、自我への執着を瓦解させる「脱魂型」が中心である(1p14)。脱魂型のシャーマニズムには、魂の解放そのものをもたらす深さがあり、北米で発達した脱魂型のシャーマニズムは、旧大陸でキリスト教や仏教が果たしていた世界観を与える役割も果たしていた(1p16)

 脱魂型の変性意識に入る為には、聖なる植物を摂取したり、一定のリズムで太鼓を連打したり、自然の中で一人断食をする等、様々なやり方がある(1p16)。太鼓の音の連打が変性意識をもたらすことは、日本の仏教での木魚を見ても明らかである。空也の踊躍念仏もシャーマン的な行為と言える(1p17)

動物の精霊が重要な地位を占める

 太古においては、聖なる象徴は動物の精霊であった(1p22)。シャーマニズムにとっては、熊が特別な動物であり(1p24)、鷲も重要な存在とされた(1p25)。旧石器時代の壁画や現在の狩猟採集部族では、共通して動物霊を聖なる存在として重視する。そして、動物霊と交信する宗教は、アニミズムと呼ばれ、原始的だとされがちである(1p26)。けれども、アニミズムから多神教へ。そして、多神教から一神教へと宗教が発展していくとされる図式はかなり怪しい。現存する部族社会でも一なる至高神信仰は多くあり、狩猟採集社会の最初の神の観念も至高神であったとの主張もある(1p28)。ただし、部族社会の至高神の観念には、地球生態系への深い感謝と祈りが付随している。そして、動物の精霊が重要な地位を占め、上から人格神が支配するといった観念は見出せない(1p30)

20160527-Michael Harner.jpg『シャーマンへの道』平河出版社の著者、マイケル・ハーナー(Michael Harner,1929年〜)博士は、南米で聖なる植物を用いたシャーマニズムの伝統と出会って衝撃を受け、その後、北米で太古の連打という技法を学び、独自のネオ・シャーマニズム体系を組み立てた。そして、カリフォルニアにあるエサレン研究所等でワークショップを開催している(1p31)。長澤靖浩は、1999年にエサレン研究所で指導を受けた濱田秀樹氏の指導するワークショップに参加した(1p32)。そして、イメージの中で洞窟をくぐり抜け、バンビと出会い(1p32)、その後、年老いたカモシカと出会う。そして、そのカモシカの胸に飛び込んだ(1p33)。また、竜宮場のような場所に案内され、援助霊であるカモシカから、大地が巨大な亀であることを教えられている(1p34)

部族社会には地球的な視野はない

 部族社会に対して過剰なロマンを抱く人たちは、ネガティブな面を無視しがちだが、部族社会が平和で豊かなユートピアであったというのは幻想である(1p41)。部族社会に自然に対する一定程度の節度があったことは確かだが、それはエコロジー思想に基づくと考えるのは、現代のロマンの投影かもしれない。技術不足のために自然の支配を否応なく受けていたにすぎないともいえる。また、部族社会には全地球的な視野はなかった(1p42)。地球的なビジョンがなければジョン・レノンの「イマジン」は誕生しえない(1p44)。そして、部族社会の人々は狭い世界でしか生きていなかった(1p44)(続)。

イシの画像はこのサイトから
バーガー名誉教授の画像はこのサイトから
ハーナー博士の画像はこのサイトから

【引用文献】
(1)長澤靖浩『魂の螺旋ダンス』(2004)第三書館
(2)片山恭一『死を見つめ、生をひらく』(2013)NHK出版新書


posted by fidel at 07:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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