気候変動対策と自給率向上でも重要な食生活
温室効果ガス排出量の3分の1は食料生産に由来する。とりわけ、問題なのが畜産業で、植物由来の食料の2倍も排出され、それだけで5分の1を占める[11]。2023年にIPCCから発表されたリポートは、マメや穀類等の植物由来の食生活に各個人が切り替えれば、それだけで、2050年までにカーボン排出量を44%削減できるとする[7]。2024年に世界22カ国でなされた大規模調査では、肉の消費削減やより健康的な食生活を奨める政策を60%が支持していることがわかったし、気候変動対策では考えられている以上に食生活のあり方が威力を発揮するから、欧州各国は食のガイドラインを制定する等、いずれも力を入れている。ちなみに温暖化対策として食政策を支持する割合がケニアでは80%、インドでも74%、メキシコでも72%もあるのに対して、日本は34%しかなく、改めてその環境意識の低さが浮き彫りになったカタチとなった[11]。
国をあげて自然食と有機農業を推進したナチスドイツ
「大量の肉、大量の精製糖、大量の輸入食品等を含む典型的な工業化された食事よりも、自然な食事をすれば、ずっと効率的に資源が利用できます。菜食主義の食事にすれば、人間と同じ食料を餌にする家畜の肉を食べるより、同じ土地で多くの人を養えます」。
自然食のメリットはこれにとどまらない。人工添加物を使ったり過度に加工された食品を食べなければより健康的になれる。だから、肉に代わって、地元産の魚を食べ、小麦や白パンを国産ライ麦にしていく政策が強力に推進されたと歴史学者、ワシントン大学のコリーナ・トライテル(Corinna Treitel)教授は指摘する[4]。これだけ聞けば素晴らしく思える。けれども、問題はどの国の誰がこんな政策を行ったのかということだ。答えはナチス・ドイツでヒトラーなのだ。
ヒトラーはほぼベジタリアンで[1,3]、自然食を取り入れていたが[3]、ヒトラーに限らずナチスの最高指導者の何人かもほぼ有機食品だけを食べていた[1]。有機農業を国家の活動レベルにまで引き上げたのはナチスだったし[1]、ベジタリアンを思想的にも実践的にも健康的な食生活として強力に推進したのもナチスだった。例えば、ホールフード(全体食)の祖とされるのは、ナチスの栄養学者だったヴロツワフ大学のヴェルナー・コラート(Werner Kollath, 1892〜1970年)教授で、教授は「食べ物はできる限り自然なままに」というスローガンを1942年に作った[4]。地元産の食材をなるべく生で使い、肉や脂肪、卵の摂取量を減らす。それが、ドイツの「食の自由」を保障しつつ家族を養うやり方だ。料理本、家事指導書、組織的な家政学研修を通して、ナチスはドイツの女性たちに自然食を薦めた[3]。
食料自給から自然食と有機農業にこだわったナチス
それでは、なぜナチスは自然食や有機農業を強力に推進したのだろうか。トライテル教授はその理由として、第一次世界大戦後に悲惨な飢餓経験をしたことをあげる[1]。教授によれば、1915年頃から飢餓は大きな社会問題となり、1917年にはさらに状況が悪化した。
「ジャガイモやパンが盗まれ、これまで抗議活動を行ったことがない人々まで、街頭に出て抗議活動を行いました。人々は飢えると暴動を起こしがちですし、自国の政府の正当性を疑う傾向があります。政府にとって、これは本当に深刻な危機でした」[4]。
肉類でもドイツは国内需要を満たせず、多くの豚肉や牛肉を海外から輸入していた[4]。第一次世界大戦でドイツが敗北した要因のひとつが飢餓だったし[4]、それを祖国敗北の原因として強くあげ、本能的に輸入依存を嫌悪していたのがヒトラーだった[4,6]。だから、輸入に依存しない国家自給はナチスにとって最優先事項だった[4]。
東京大学の鈴木宣弘特任教授が推奨する帝国陸軍の丸本彰造少将が昭和19年に書いた『食糧戦争』の中で「ここに、盟邦ドイツの生活食糧教育、ドイツ産業に対する戒律を御参考までに記してみよう」として次のようにドイツの取り組みを高く評価している。
@ 一銭の経費を支払うにもドイツ人の利益となるよう考慮すべし
A 外国品の輸入はそれだけ自国を貧窮ならしむる結果となることを忘るべからず
B 各自の金銭を決してドイツ人以外のものに利得せしむべからず[10p43]
D 外国食料品を食卓に上すことは断固として排撃すべし
E ドイツの小麦粉、ドイツの果実、ドイツのビールのみが真のドイツ魂を養うものなることを知らざるべからず
F コーヒーはドイツ製なるかドイツ植民地製に限るべし[10p44]。
「白パンの代わりに全粒粉のパンを食べれば、穀物はより有効活用されまるし、食品もより長持ちします」とニューカッスル大学のサッシャ・デイビス(Sacha Davis)講師は指摘する。輸入品を国産品に置き換える自給自足への目標から、ナチスは、自然食を推進していたのだ[4]。
自然食のルーツはドイツの食生活改善運動にある
けれども、そもそもなぜ、肉、砂糖やアルコールは身体には不自然で、「自然食」が健康的だとみなされるのだろうか。ドイツの有機農業の発展史を研究する前出のトライテル教授は、「自然食」のルールをたどると、ドイツ中部の山麓の小さな町ノルトハウゼンでエドゥアルト・バルツァー(Eduard Baltzer, 1814〜1887年)という進歩的な牧師が1860年代に始めた「生活改善運動」にゆきつくとする[1]。 バルツァーが目にしたのは、多くの肉を食べ、大量に砂糖も摂取しては蒸留酒シュナップスを暴飲するという貧しい人々の食生活だった。住民は所得の半分以上をこうした食費に費やし医者にもかかれなかった。もっと野菜や果物を食べれば健康にもなれるし体力も向上する。そう考えてバルツァーが「自然食」の概念を考え出したのだ[1,3]。 それだけではない。前述したとおり、菜食主義を取り入れれば自給率も高まる[3]。
「バルツァーは国民間での平等を促進し、民主主義の高める手段としての食生活を構想していました」とトライテル教授は自然食運動にはさらに広範な社会構想があったと指摘する[3]。とはいえ、バルツァーは自然食によって健康問題に立ち向かったが、熱心に化学肥料を使っていた。だから、この段階では「自然食」はまだ「オーガニック」ではなかった。けれども、その60年後の1920年代には、自然食に加えて、有機農業も問題の解決策としてやはりドイツで提唱される[1]。ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner, 1861〜1925年)が1924年に行った一連の農業講義に由来する[6,7]バイオダイナミック農業(biodynamic agriculture)だ[1]。 シュタイナーが提唱したこのバイオダイナミック農法を好んで採用し、1930年代を通じて最も影響力のある擁護者となったのがナチスだった[7]。
例えば、ルドルフ・ヘス(Rudolf Hess, 1894〜1987年)副総統は、とりわけ熱烈な農法の支持者で、それ以外の第三帝国の指導者たちも農法を強く支持していた[6]。ダッハウとラーベンスブリュック強制収容所ではバイオダイナミック農園が設立され、親衛隊が「実験」を行い、囚人に農業労働を課していた[6,7]。
優生学からローカルフードにこだわったナチス
「地産地消」からは、新鮮な旬の農産物が山積みになった牧歌的なイメージが想起されるが、地産地消の最も確固たる基盤が築かれたのもナチス政権下においてだった[6]。ナチスが有機農業、とりわけ、地産地消にこだわったのは、優秀なアーリア人種というイデオロギーを支えるためだった。ナチスの有名なスローガンでもある「血と土(Blut und Boden)」の概念は、熱烈な優生学者でもあった医師、リヒャルト・ヴァルター・ダレ(Richard Walther Darré,1895〜1953年)によって強力に展開された。ダレは後に農務大臣となるのだが、ローカルフードにもこだわり、ドイツの大地で栽培された食料だけが優秀なアーリア人種の身体には適していると主張した。ダレは国家の屋台骨として農家を偶像化する一方で、都市、とりわけ、大地や故郷の景観とのつながりを失った放浪民であるユダヤ人に対する不信感を煽った[4,6]。
アーリア人種の優越性という滑稽無糖な民族神話に基づいたイデオロギーとして[8p55]、ダレの思想を一笑することはできない。ダレの思想が支持を受けたのは、産業化が進む中で、健康への懸念が高まっていたことがある[4]。1900年頃以降、ドイツでは、コレラや天然痘といった感染症から、糖尿病、癌、心臓疾患といった慢性疾患へと疫学的に病状が変化していた。「近代病」への罹患者が増すにつれ、国家も民間も、より自然な食生活を送ることが公衆衛生戦略として理にかなっていると考え始めた[1]。
「都市は汚染され不健康だとの懸念は第一次世界大戦以前からありました。人々は窮屈で劣悪な環境で暮らし、悪い食べ物を食べ、アルコールも飲み、タバコも吸う。それが実際に身体への物理的なダメージとなっていました。そこで、1900年代初頭から、公衆衛生への関心が高まっていました。それをナチスは取り上げたのです」とデイビス講師は言う[4]。
公衆衛生に対しては、ドイツだけでなく、スウェーデン、英国、米国でも多くの医師が懸念していた。 「それが、より健康な人間を作ることができるという、優生学の考えと結びついていたのです」[4]。
「純粋さ」は有機農業運動のキーワードだったが、この純粋さの考え方が、優生学を呼び起こした。いまでは意外に思えるが、社会主義者たちも優生学を支持していた。SFの巨匠、HGウェルズ(Herbert George Wells, 1866〜1946年)、女性解放運動にして作家、マリー・ストープス(Marie Stopes, 1880〜1958年)、ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes, 1883〜1946年)は、いずれも優生学の支持者だった。知的、道徳的、肉体的な弱さは、育種によって排除できるという主張は、国家の存続の答えは科学にあると信じる人々にとっては、当然のことと思えていた[2]。
戦後も生き続けたナチスの亡霊
ナチスは1945年に政権を失いドイツは2つに分かれ、それぞれの国の展開は異なったが、戦後も自然食とオーガニックはドイツ文化の重要な部分であり続けているとトライテル教授は語る[1,4]。
「ドイツではオーガニック農業は今でも非常に人気があります。現在もドイツ政府は持続可能な農業という政策を掲げていますが、これは実際にはナチスも推進していたアイデアの一部に基づいています」[4]。
西ドイツでは、旧ナチスが1950年代と60年代に再集結して自然食や自然農法に関する思想を育んで発展させた。70年代に環境運動が台頭して以降、自然農法は主流となった。ドイツの人口はわずか8,000万人だが、オーガニック食品の市場において、人口3億人の米国に次いで世界第2位の規模を誇る[3]。世界的な有機認証機関、デメーテルは1927年に設立されたが、設立時にはナチスに積極的に協力していた[7]。こうしたバイオダイナミックの初期の発展史についての情報は、世界各地のバイオダイナミック協会のウェブサイトには掲載されてはいない[6]。
東ドイツでは、独立した運動が認められなかったことから生活改革運動は事実上消滅した。しかし、運動の一部は医療官僚機構に取り込まれ、自然食を東ドイツの「健康食」にすることに成功した。オーガニックの部分は姿を消したが、新鮮な果物や野菜を多く摂取し、砂糖、肉、アルコールの摂取量を減らす習慣は、国家の栄養指導の一部となり[1]、食生活改革が推進された[3]。
地産地消と反グローバルはナチスの専売特許ではなかった
自然文学の古典的名作『カワウソのタルカ(Tarka the Otter)』を書いた、イギリスの作家、ヘンリー・ウィリアムソン(Henry Williamson,1895〜1977年)は、有機農業こそが英国農村の経済的安定と将来の繁栄を取り戻す鍵だと強く信じていた。 イギリスには、その国民的アイデンティティは田園に根ざすとの考え方が強くある。農作業で鍛えられた身体、泥だらけの手、風雨に打たれた革のような顔を持つ農民は、英国人の理想だった。
有機農業は、汚染物質を含まない「純粋な農産物だ」との概念を超えて、土と一体となった農民というイメージに輝きを与えた。有機農業は、まさに英国を守るために、農業に同じ純粋さの概念を導入する試みだった。イギリスの食卓に並ぶ食べ物は、農家のイメージと同じくらい健康的なものになるであろう。そして、小規模な有機農業を通じて、英国はその文化的起源を再発見するだけでなく、自給自足できるようになるであろう[2]。
ウィリアムソンは、1936年にオズワルド・モズレー(Oswald Mosley, 1896〜1980年)卿が創設した英国ファシスト連合(British Union of Fascists)に加わり、黒シャツ党員(blackshirt)となった。そして、1941年には、有機農業が国家の精神的、肉体的、経済的健全性を回復するとする農村復興主義組織「キンシップ・イン・ハズバンダリー(Kinship in Husbandry)」の創設メンバーとして加わる。国土を守るうえでの唯一のイデオロギーがファシズムだと考えたのだ[2]。
有機農業の中心的思想家の一人、作家、ロルフ・ガーディナー(Rolf Gardiner, 1902〜1971年)と第9代ポーツマス伯ジェラルド・ワロップ(Gerald Wallop, 1898〜1984年)は、準ファシスト団体で活動していた[2,5]。第二次世界大戦前には英国ファシスト連合のメンバーであったジョリオン・ジェンクス(Jorion Jenks, 1899〜1963年)は戦中は抑留されたが[5]、1940年代後半にイヴ・バルフォアと共に土壌協会を設立し、1950年代後半まで17年間も土壌協会の機関誌を編集[2,5]。この慈善団体を自身の極右思想を主張する手段として利用し続けた[2]。
英国の環境保護運動史のうち、極右勢力のルーツは無視されがちだが、当時は、ファシズムによって国土を守るという考え方は説得性があり、広く浸透していた。戦後、「キンシップ・イン・ハズバンダリー」のナチスとのつながりは恥ずべきものとなったが[2]、1930年代から40年代にかけてイギリスとドイツで始まった当初から、有機農業運動はファシズム的な政治と深く関わってきた[5]。
農村重視と小規模家族農家の支援は民族主義・ファシズムにつながる
いま、有機農業と聞くと、政治的には進歩主義的な左派で、社会正義の促進や環境保全から反体制というイメージが強い[1,3,5]。確かに、自然食は19世紀に主に左翼的な思想として始まった[3]。だから、有機農業がファシズムに起源を持つというのは、奇妙に思えるかもしれない[2]。けれども、当時は、極左も極右もいずれも、農業の機械化に疑念を抱き、企業や「国際銀行」と癒着した政治によって伝統的な農村景観やそこで働く人々の暮らしが脅かされていると考えていた[2]。
食料自給も、1930年代のナショナリズムとファシズムに根ざす。1922 年に発足したムッソリーニ内閣は当初は自由主義的な経済政策を踏襲していたが、1925年の夏には保護貿易主義へと方針を転じた。ムッソリーニは、小麦の国内自給を達成することで貿易赤字を減らす「穀物戦争(Battle for Grain)」を大々的に喧伝し、輸入食料への依存を断ち切ることを目指し成果をあげた[6]。
前出の丸本少将の著作も、次のように高く評価する。
「自給への努力こそは、大東亜戦争最後の勝利を獲得するひとつの鍵である。伊国首相ムッソリーニは、食料問題のすべてを解決するものは、太陽、水、空気、人力、科学であると喝破したが、私も大いに同感である。国民諸君は、このム首相の言葉を咀嚼して、米英への積極的攻勢を強化せねばならぬ」[10p23]。
ファシズムは戦後にはナチズムと一緒にされて悪のレッテルが張られた[8p195]。だから、ファシズムには、悪の権化のようなイメージがあるが、ファイズムそのものはかなり魅力的な思想だし[8p53]、ほとんどの場合、軍国主義形態ではない[8p194]。むしろ、自由主義的な資本主義が引き起こした格差や貧困問題を共産主義革命以外の方法で解決しようとした運動である[8p53]。ムッソリーニもイタリア社会党の左派出身だった[8p53]。
資本主義ではどうしても冨の集中や搾取が伴い構造的な貧困が生まれてくる。そして、資本家は「配分せよ」といっても素直には渡さない。一方で、国民が労働しなければ冨は生まれない。だから、労働者のストライキ権を認めない一方で、資本家と労働者との矛盾を国家が介入することで調停していく。イタリアの名の下にイタリア人民を束ねていく(ファシオ)。この「ファシオ」がファシズムの語源なのである[8p54]。「一人は万人のために、万人は一人のために」というのがファシズムのスローガンだった。イタリアのファシズムには、サンディカリズム、アナーキズム、マルクス主義、社会民主主義等のヨーロッパの知的遺産が流れている[8p55]。
日本でも『資本論』を翻訳した高畠素之(1928〜1928年)は、強力な国家の力によって「人間悪」を抑制しなければならないと考え、ナチスよりも早くイタリアでファシズムが誕生するのとほぼ同時期に「国家社会主義」を提唱した[7p55]。戦前には、高畠や北一輝(1883〜1937年)の純正社会主義のように右翼の側で「革命」を提唱する人々が多くいた。タブーであったのは、天皇制の打倒であって、社会主義はタブーではなかった[7p63]。とはいえ、ファシズムにも限界がある。ファシズムが束ねるのは内側だけであることだ。内側では誰もが助け合うが、外部に対しては冷酷で人間扱いしない。これが社会ダーウィニズムと結びつくと適者生存ということで人種、民族間の闘いにつながってしまう[8p56]。
いま再び右派が着目する有機農業
1940年代から1960年代にかけては、有機農業は少数派の運動として留まっていた[3]。それを変えたのは、1960年代の米国のカウンターカルチャー運動では、多くのヒッピーたちが有機農業での自給的暮らしを目指したからだった[3,5]。けれども、近年では、再び、安全な食や有機農業、家畜の倫理的な扱いさえも、再び極右組織のテーマになりつつある[3]。例えば、ドイツでは、国民民主党(National Democratic Party)が、遺伝子組み換え農産物や生物特許、石炭火力エネルギーへの外国投資に反対しているが、同党は極右ネオナチ政党なのだ。ドイツ緑の党傘下のハインリヒ・ベル財団(Heinrich Böll Foundation)は「オーガニックサラダを購入することが、間接的に極右運動に資金提供することにつながる」と警告する。雑誌『ウムヴェルト・アンド・アクティヴ(環境と活動(Umwelt & Aktiv)』は、ミツバチの個体数減少を警告して田園景観や環境を守ることを訴える一方で、イスラム原理主義を非難する等、排外主義的な主張も記事も散見されるのだ[3]。
そして、ドイツをはじめとする国々で、白人至上主義者たちは、YouTubeでレシピを披露し、動物性食品を摂取しない食生活を推進し、「アーリア人」にとってベジタリアン食は適切だと主張している。確かに、ベジタリアン食は肉食よりも生産に必要な耕作地が少ないため、ベジタリアン食を導入すれば各国が農業的に自給自足できるようになる可能性がある[3]。
有機農業史を研究するヨハネスブルグ大学のグレゴリー・バートン(Gregory Barton)教授は、工業化や都市化に対して農村を守ろうとする姿勢、そして、古代ローマにまで遡る小規模な独立した家族農家が農業の基盤となり、国を政治的にも安定させるとの考えは、ナチスのスローガン「血と土」のような民族主義的、土着主義的、ファシズム的な色合いを帯びた人間と大地とのつながりへの信仰へと容易に変容しかねないとの警鐘を鳴らす[5]。
有機農業は、コミュニティ支援型農業(CSA)のような進歩的な社会経済形態も生み出してきたが[5]、有機農法は往々にして、科学的なエビデンスに基づくよりも、神秘主義や近代化の拒絶、文化的な優位性につながりやすい。自国の自然や食文化、農産物を愛することは素晴らしいが、それは、同時に、それは閉鎖的なナショナリズムにも結びつく[6]。有機農業が育んできたよき伝統と黒歴史を認識しながら、排他性や優性思想につながらない立場をどう維持するか、常に意識しなければならない。
【引用文献】
[1] Organic Origin Story: Tracing the History of “Natural” Eating, April 23, 2015.
[2] John Toohey, The roots of organic farming lie in fascism, The Conversation, Jan 21, 2018.
[3] Irina Dumitrescu, Bio-Nazis’ go green in Germany, Food Politics, July 13, 2018.
[4] Anna Kelsey-Sugg, Tracing the link between natural food and the Nazis, ABC Radio National, Sep 14, 2018.
[5] Michelle Niemann, Organic Farming’s Political History, Jan23, 2020.
[6] The dark roots of faddish food movements,Our desire for self-sufficiency has a surprisingly unpalatable history, unherd, 14 Jan 2021.
[7] 佐藤優『いま生きる「資本論」』(2014)新潮文庫
[8] 佐藤優『いま生きる「階級論」』(2015)新潮文庫
[9] Taiwan’s Meat-Free Monday Reports Astonishing Progress, Generates Commitments From Government Sectors, the vegan business magazine, June 2, 2023.
[10] 丸本彰造『食糧戦争』(2024)経営科学出版
[11] Anay Mridul, Globally, 60% Believe in Climate-Smart Diets, and 89% Want More Govt Action, Greenqueen, Apr 22, 2025.






